長島氏のバッティングコーチと取説

ある時長島氏がバッティングはどうすれば上達するかと問われた。「投手が投げるのは分かるだろう。そして球が近づいてきて、ここぞと思った時にバットを振れば良いんだよ」と教えたと伝わっている。

これが真実かどうかは分からない。何しろエピソードの多い人で、面白い人柄をお持ちだったから、根も葉もないことが伝わることがある。

しかしこの彼の言葉はさもありなんと思えるので、打撃を教授した時にそれに近いことを言ったのを否定することもまたできない。

長島氏は野球の天才である。彼も人には教わっただろうが、すぐに教わったことを実行できたのではないかと思われる。

その天才は打撃に付いても他人以上の苦労はなかっただろう。勿論それなりの努力はした。真夜中に起きてバッティングの練習をしたとも伝えられるので、相当な努力家であったに違いない。

天才は1%の天分と99%の努力により構成されていると言われるが凡人は努力をすることが大変で、持続するのが困難だ。

自分なりの満足点に向かってする努力天才と凡人がどうしてもできないことを何とか会得しようとするのには大きな違いがある。

だから天才の定義というのは間違っている。天才は高度な努力を難なくやれる才能を持った人なのだ。」

だからいくら野球選手と言っても長島氏並みにできる人は少ない。ほとんどが野球選手の中では凡人なのだ。

だからそんな人は天才のことが分からないし、天才は反対にどうして凡人が苦労しているのかを充分理解することができない。

さる超有名大学を卒業して人と雑談をする機会があった。そんな大学に入学するには記憶力が相当良くないと叶わない。

それで聞いてみた。どうしたらそんなに物を覚えられるのかと。答えは「例えば漢字なら2,3回書いてみたら覚えてあまり忘れない」とのことだった。

その人は天才とまではいかないが、少なくても高度な記憶力を持っていることは確かそうだ。

だから努力をして漢字を覚えるのが楽しい。回りを見回しても知らない漢字があまりない。漢字を覚えることに快感を味わっていることすらありそうだ。

どうしたら記憶力が良くなるのかと聞いても詮無いことだ。その人は元々そんな能力を持って生まれているのだろう。

取扱説明書は長島氏のバッテングコーチと趣が同じだ。取説を書いた人はそんな取説を書けるくらいだからその分野には通暁しているのだろう。

これは上記の長島氏と超有名大学の卒業者の言と軌を一にする。だからいくら取説を読んでも分からないことがあるし、説明は不適切なところもあるし、使用する言葉も専門家向きだ。

最近はそれを反省したのか少しは改善されたが、やはり不足だ。最近ガラ携からスマホに買い替えた人がいたのでその取説を読ませてもらった。

それは初心者にも至らない人向けの入門編である。そのスマホを買った人は何年か前までは携帯電話機さえも持っていなかったので、携帯では辛うじて電話を掛けるか、あとはショートメールを打つことくらいしかできない。

だから新しい機械の使い方は何も分からない。「もう壊れた」と言っているので、見るとパワーがなくなっているだけだった。だから言ってやった。「これは電池切れだよ」と

電池が切れると機械が動かないのは知っている。だが充電の方法は分からない。でも充電器は買ってきていたので、それを使えば良いじゃないかと教えると差し込みができない。

必ずどこかに差し込み口が携帯にあるはずだ。それは充電器の片側と携帯のどこかを接続すれば良いはずだ。探したらと言うとあれこれ試行錯誤をやったが、何とか見つけて繋いだ。

その辺り取説に書いてあるかと見たが、どこにもない。その取説は入門者も利用できると書いてあったが、先ず無理だ。

使っている言葉も入門者向けではないし、書く順番も違う。これでは長島氏の打撃指導だ。

私も何かのことで取扱説明書を読むことがある。だが分からないことも多い。そんな時は何とか操作をして、自分自身や妻向けの取説を作る。それは分かるし、何かを忘れてもすぐに分る。それは私が専門家ではないからだ。

そんな文章は氾濫している。市町村から来る文章は意味不明なことが必ずあるので、電話をしなければならない。自分と電話の相手に取って時間の無駄だ。

こんなことも何とかする努力をすれば改善できる。コンピューターの操作をできない人でも銀行のATMは使える。取説やプログラムを作る人は大きく言えば国家の利益、不利益に繋がるのだ。

酒巻 修平

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