人に教えるということ、教わるということ

 私は長年会社を経営しているから、人にものを教え、反対に教えられることが多い。ある日人に物を教えるということは何処に注意が必要で、どのようにやらなければならないか。また反対に教えられるのはどのようにすれば良いのかと考えたことがある。

 私の勝手な考え方だが、教えるには2つの必要事項があるということだ。一つは理論的に説明する。もう一つはそれを実践してみせることだ。

 もちろん実践してできないこともあるだろうから、先ず実践してみて自分が自信のあることを教える。すなわち自信のないことは教えない。教えられないのだ。

 説明はまた二つに分けられる。一つは大きな枠組み論理を話す。そしてもう一つはその具体的、詳細を述べることだ。

 もちろん教えられる人の能力によって教える方法や内容が違うことは止むを得ない。日本で物を売るにはどうしたら良いのかという問いに答えを出すことは教えるのと同じだろう。

 私はこう答えることにした。能力のある人には「販売する商品あるいは会社の名前を売ることが現物を売ることより優先的にしなければならない」と。

 能力のある人はなるほどと納得する。だがそれだけでは分からない人がほとんどだ。商品を売ることに汲々としている人は物を考える余裕がない。余裕がないから売れないという悪循環に陥っている。

 私はその人たちにこう説明する「日本人はもともと模倣を旨としている民族である。それは稲作という毎年誰でも同じ作業をしていることを生活の基準にしてきた。だから独創的な発想は受け入れ難い。従ってそこから推論すると実際の質を評価して物を買う人が少なく、表面的な状態を見て物を買うのだ。

 また付け加える。ブランド品のバッグを高校生でも買うだろう。ヴィトンのバッグのデザインはあまり良くない(最近の物は良くなった)。ただ堅牢だ。

買う人のほとんどはヴィトンをヨーロッパの貴族が持っていて、それがステータスのようになっているから、買うのだ。

 他に買う理由は女優や有名人が持っていた、(「きたむら」のバッグは紀子さんのお母さんが持っていた)値段が高い、良く宣伝されている、ブランド名が行き渡っている、などが購買の理由になっている。デザインがユニークで素晴らしいなどというのは買う二の次の理由だ。

 だから自社の商品は有名になるまで宣伝するのが先決の問題である。そうするとある程度利益を生まない資金を用意しなければならない。

 教えるにはそれなりの苦労があるが、教えられる人の方にも問題がある。人の話しを聞かない人はいつまでたっても聞かない。それは持って生まれた性格かあるいは教育環境から来るのか、それはもう会社の責任ではない。

 教えられることも良くある。別に理論的なことでなくても、例えばある会社の実際上の購入権限を持っているのは誰かなど、情報も多い。

 上手に教えられ、その情報や考え方を取り入れるにはやはりテクニックが必要だ。ただ聞くだけでも情報として貴重なことも多いが、ほとんどがもう少し掘り下げて聞かなければ有効な活用方法を導き出せない。

 それには質問をしなければならない。だが日本人は質問が下手だ。何故なら学校では答える技術ばかりを教え、質問する技術が身に付いていない。先生も教えられない。

 質問することは答えるより難しい。中には何の知識もないことがある。そんな時にはどうのように質問して良いかさえ導きだせない。

 上記である購買の実際的権限を持っている人の名前を教えられると、何故なのかと聞いておきたい。そうするとその会社の内情の一旦が分かるし、物を売るのに役立つ。

 銀行から資金を借りるのに能力のない担当者は自分の意見を通せない。そうすると誰が資金の貸し付けを実質上決定するのか知りたい。それを探るとその支店内の勢力図や雰囲気が読み取れるものだ。

 人に物を教えるのは分析と説明技術、教えられるのは質問技術が不可欠だ。それには分かりやすい言葉を使わなくてはならない。

酒巻 修平

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