複雑は単純の集合である

 社会制度が整ってくると種々のシステムが複雑化される。それは人の要請が多種多様になったからでもあるし、企業やその他組織が処理の迅速化を図るためだろう。

 スマートフォンを例に取ろう。どれくらいの機能が搭載されているのだろうか。電話は言うに及ばず、メール、検索、ゲーム、写真、テレビの操作その他があり、その基本的な動作にそれぞれ付随する役割が沢山与えられている。

 それは使用者の要望に携帯電話機のメーカーが応えたものだ。一体いくつくらい機能があるのか、数える意味もないくらいだ。

 だが振り返ってみると携帯電話は持ち運び電話機に始まったと思われる。前にもっと初期のものがあったかも知れないが、私が知る限りそれが最初だった記憶がある。

 それは動く電話機だった。忙しい人が自動車に長時間乗るとその人に用事があって連絡を取りたい人もいただろうし、その人自身も誰かと話したいということが起こってくる。

 その度に車を降りて電話機を見つけて電話をすればことは足りたかも知れない。だが相当面倒だ。そこで動く電話機の登場となった。

 そのころは電話ができるだけでメールもできなかったし、他に機能は全く付いていなかった。

 だが人がメールを打ちたい。退屈だからゲームをしたいという要求を満たすためにそんな機能を一つずつ追加していった。

 メーカー側が事前に人の要求を察知して追加した機能もあるだろうし、携帯電話機は今や動くコンピューターの様相を呈している。

 そのうちプログラムも組めるようになるかも知れない。こうしてとても複雑な機械が出来上がった。老人は使いこなせない域に達してしまったのだ。

 そもそもコンピューターがそうだ。最初の目的は一つで、その機能しかなかったのが、だんだん要望が出て来て、小型化し、複雑化していった。

 肝心の人の体はどうだろうか。まだその制御機能は判明していない。機械やサービス機能人にコントロールされて発展、複雑化したから動作や仕様は明らかになっているというのに人の体がどのような機序で動いているのか、病気はどのようにして発現するのか全く分かっていない。

 そこで考える。自動車電話はただ動く電話機だった。無線電波を利用するということを思いついた誰かが携帯電話を作ったのだ。

 そのころの携帯電話機と現在のものを比較すると全く違う機械だと思えるほど現在の電話機は複雑である。

 だがそんな複雑な機能も分析してみると単純な機能の集まりでしかない。すると複雑な人の体の機能もそうではないかという自然な疑問が沸きあがる。

 複雑なトラブルは解決が難しい。だがそのトラブルが単純なトラブルの複合体だと分かってしまえば、解決は簡単だ。一つ一つの単純な要素を解いていけばそのうち全てのトラブルの要素が消滅するだろう。

 人は多分極めて単純な生物から何千、何万の進化の過程を経て出来上がった複合体だろう。あまり複雑過ぎて、解明は進んでいない。機能が相互に絡みあっているだろうし、微妙な差が病気を引き起こし、また健康を回復する。

 そんな人体の機能の解明はどこか単純なことから始めなければならない。それはどこだろうか。現象は解明されているものが多く、医学はそれを元に病気の症状に対応している。

 車が故障した時の原因を解明するようには人体の故障、すなわち病気を解明することができない。だが車もデジタルとアナログの総合体で、人とその点では同じだ。

 多分人の体はデジタル的な電気信号が命令を発して起動するだろう。生物は自己複製する、これは子孫を残すことだ。それは一番大切なことなので、単純にできているだろうし、実験をし易い。その辺りからこの複雑系を一つ一つ解き明かしていけば良いのではないかと考えている。

 もっと単純で簡単なスタート方法があればそれはもっと良い。一つの単純な機能を解き明かすことができれば、最終的には人の体は全てとは言えないにしろ、かなりな部分解明されるだろう。

 その解明の入り口を探すことが最初にやるべきことだろう。それは巻き取った毛糸の端を探すようなことで、どこかに隠れている。

酒巻 修平

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