日本人の道徳観
ネットを読むと日本に来た反日感情を持つ中国人が親日になったとか、どこかに忘れた現金入りの財布が何時間後に行ってもまだそこに置いてあったとか日本人の道徳心が高いことを褒めたたえる記事が多く見られる。
確かにそんなことは起こるだろう。だがそれは普遍的なことだろうか。あるいは何万分の一の確率で起こったことだけを特筆しているのではないだろうか。
私は純粋な日本人で、日本という国を愛してはいるが、ネットで書かれたことが本当のことかどうかには疑問を持つ。
今日近所の郵便局へ用事で出かけた。歩いて15分くらいで、用事を済ませてぶらぶらと歩いて帰った。
道路脇にはごみの集積場がある。ご存知の通り、無料で出せるごみは決められている。そして分別して決められた曜日に出さなければならない。
昔はこんなにごみが出なかったのだが、今はごみの多いこと。過剰包装も多いだろうし、どうしても不必要なものも出てきて捨てるのだ。だが捨てる前にお金を出して買ったのだと思うと勿体ない気がするのは年取った証拠だとも思う。
私たち年代の人間はものを捨てるのを親から厳しく諫められて育った。だから物を捨てるのにとても抵抗感がある。
それはそれとしてそのごみ集積場には持って行かれなかった粗大なごみが残されたままになっている。
その辺りは一応きっちりとした住宅地で、そのほとんどのごみ集積場には違反なごみが残ったままだ。
捨てた人はそれが違反だと分かっているのに捨てた。いずれ区役所が持っていかなくてはならないだろうが、とても見苦しい。これが海外より賞賛される日本の道徳だろうか。
電話をして少し料金を支払えば合法的に収集してくれるのに、その料金の支払いをけちったのか、電話をする手間を嫌がったのだろうか、道徳心などそこにはない。
先日も若いサラリーマンらしい女性が指定された曜日ではない日にごみを集積場に出していた。注意すると急いでいるのでと言って逃げるようにそこを去った。
見たところ普通の女性で犯罪者的ではなかった。そんな普通の人がこういった不道徳をするようになったのだ。(実際には軽い刑法違反)
自分に損得関係が発生するところでは良い子になっている人が関係のない所ではとても非道徳的なのだ。昔は他人の見ていないところではきっちりと振る舞でと教えられた。そんな優雅な道徳は今ない。
テレビでは日本賞賛番組を放映している。見るのが恥ずかしいので、見ないが日本はどうなったのだろうか。
ごみばかりではない。老人が電車に乗ってきて、きょろきょろ座るとことを探している。優先席に座った若い女性はすぐに携帯電話を取り出して使い始める。そんな日本が賞賛に値するのだろうか。
確かに立派な人はいるだろう。そしてそんな人の行動がネットに流れ、評判になって海外にそんな事実が拡散される。だがそれは真実の日本ではない。
財布を忘れると絶対に出て来ない。女性がバッグをトイレの中に忘れると誰かに持って行かれる。もうここには賞賛される昔の日本はないのだ。
統計に乗るような犯罪は少ないだろうが、法律違反でないようなあるいは人に見つからないような小さい犯罪行為は増加している。
官僚は相変わらず愚図だし、政治家は嘘つき集団だ。例外はいるだろうが、平均的にはレベルは低い。もっと下層な人たちはいまだに正直だと思うが、キャリア何とかは道徳心が低い。
何故だろうか。もともと日本人は嘘付きだが、それは変わっていない。日本の悪いことを言うのが目的ではないが、とても嘆かわしい。ごみを収集する人の身になって考えられないのだろうか。
もちろん米国やイギリスではもっと状態は酷いだろう。とすると人類は悪化していると思わなければならない。比較的若い人は今の日本の経済に貢献した訳ではない。
昔は終電車に乗るのが当たり前のように仕事をしたのだ。それが中小企業の経営者のことは考えずに労働者だけを優遇するような政策ばかりして労働者を甘やかす。
いつの間にか休日がとても多い。ばかな環境大臣は産休を取り、それが模範だと言わんとしている。唾棄すべき政治家だ。
全て明治から昭和の人たちが築き上げた良好な社会に今の人は生を受けた。その良好な社会を破壊しないで欲しい。
もっと働け。もっと頭を使え。ごみを不法に捨てる人は絶対リッチには慣れないのを知らないのか。そんな影で悪いことをする人はどこかで見られているのだ。「天網恢恢、疎にして漏らさず」
酒巻 修平