老化とはどのような状態だろうか

 人もどんな生物も老化し、やがて死ぬ。このシステムはどのようにして成り立ったのか。老化しないで、永遠の命を全うできるとどのような不都合が起きるのか、誰も答えてくれない。

 誰も答えてくれないのなら、自分で答えるより仕方がない。自分には老化の仕組みに興味がある。

 物を考えるあるいは考え方を創造するにはできるだけ元から作業するのが良い。老化を考えるには何が元か。言うまでもなく、それは生物の状態を指すので、生物とはどのような存在であるのか知ることだろう。

 とすると生物の定義だ。それを明快かつ欠落がないようにするのは至難の業と言われているが、どうだろうか。

 生物という存在がある限り生物ではない存在があるのは当然だ。それは自然である。言い換えると宇宙だろう。

 宇宙にあって生物はどのように存在を開始したかは分からない。だが老化を考えるのに生物とは何かを定義する必要があるだろう。

 私の意見では生物とは自己複製する系である。宇宙は自己複製をしない。自然の構成物質は原子かあるいはもっと小さい物質、例えば量子かも知れない。

 これら構成物質が集まって宇宙が成り立っていて、その個々の部分が地球であり、太陽、銀河、ブラックホールである。

 だがこれらは自己複製しない。自己とは自分自身ということで、原子や量子は我々がまだ知らない仕組みで複製あるいは変異している可能性があるが、それは個々の原子などの作用だ。

 生物は原子や分子が集まって成り立っている存在である。その存在が自分自身で自分の分身を作っている。それが自己複製である。

 この自己複製は単に子孫を残すことだけではない。生物の体内にあって生物の構成要素である細胞も自分自身あるいは全体の要請によって自己複製している。

 これを新陳代謝と我々は言う。若い細胞は活力が旺盛で新陳代謝の速度が速い。活力が旺盛であるということの状態や定義あるいは理由などはまた別の問題として興味のあるところだ。

 筋肉の活力が高いと早く走れるし、疲労の回復も早いだろう。筋肉の活力が高いということは筋肉を構成している細胞の数が多いのか、それとも実際に活動に携わっている細胞の割合が高いのか、何か原因があるはずだ。

 さて新陳代謝が遅いと前からある細胞は活力が減衰するだろう。それは体全体でも言えることで、新陳代謝が遅ければ体全体の活力も低下する。

 新陳代謝は古い細胞が自分自身で死滅して新しい細胞に変わることだ。古い細胞がその機能を失い自分自身で死滅しなければ新しい細胞が出現することはなくなり、死滅しない古い細胞は癌になり、それがまた増殖する。

 そうでなければ古い細胞は新しい細胞に取って変わられる。新陳代謝の速度が低下するとある程度古い細胞も体は使用しなければならない。

 1日で新しい細胞が生れて活性化するのが3日掛かるようになれば体の機能は低下する。

 さて細胞が古くなるとはどのような状態だろうか。機械では金属疲労を起こし、やがてその部分は使用に耐えられなくなる。

 体の細胞もそうだろうか。金属疲労はどういうことだろうか。酸素が金属と接触すると錆びるし、そうでなくても金属その物の弾性、剛性もなくなる。

 体の細胞も酸素により疲労を起こす。だから古い細胞は活力が低いのだ。だがその細胞に接触する酸素がなければ古い細胞も老化せず活力が高く保たれるとは考えられないだろうか。

 しかし人もどんな動物も酸素を体内に取り入れて生を保っている。酸素がなければ動物は生きていけない。だが同時にその酸素は細胞の老化も引き起こす。必要に応じて酸素は使用されるが、多分余計な酸素も体内に浮遊しているだろう。

 生きていくのに使う体力は細胞の集合体から生み出される。新陳代謝が早ければ疲労は少ないだろうが、遅いと体は比較的古い細胞の集団で動かされる。

 だから冷暖房や交通機関が発達した社会では体力の消耗は少ない。だから古い細胞の集まりでも体は元気なのだ。

 更に食品添加物の存在がその細胞の劣化をある程度防止する。食品添加物は食品の劣化を抑える作用があるから、それを摂取すると体も劣化が抑制されるのではないか。馬鹿らしい考えだが、それを否定するにはそうでない証拠が必要だ。

 かくして古い細胞は長く寿命を保ち、新陳代謝は遅くても体はその影響を受ける度合いが少ない。そうして体全体の寿命も延びる。

 細胞が何回新陳代謝を繰り返すともうその作用が終了するかは解明されていない。あるいは生物が死滅するのはそんなことが原因でないかも知れない。

 人の卵細胞が生成される回数に限度があるように、細胞の生まれ変わりにも限度があるのではないか。

 そうするとその限度が来ると人は自然に死亡するだろう。その前には新陳代謝は極めて多く、体には古い細胞のみが残る。これが自然死だろう。

 もし何かの原因で細胞の古くなる速度が遅くなると人の寿命は延びるだろう。それが環境の改善であり、食品添加物を摂取することから来るかも知れない。

 これは単なる思い付きかあるいは仮説の前駆思考であるだけだ。だが仮説が証明されることなく真説だとしてまかり通ることはしばしばある。

 進化論、あるいはその反論、二酸化炭素が地球の温暖化の原因だとする説、たばこが肺癌の原因と判定する我田引水的理論。全てが仮説でしかない。

 人の体がどのように制御されているか誰もまだ解明していない。それは病気を根本的に治す役に立つだろう。だが研究は種々の事情で進まない。

 こういう時には仮説も重要で、その前駆としての思い付きもまた大切ではないのだろうか。体の機構、機能を解明する切っ掛けが必要だ。それは学者からは出ないかも知れない。誰もが考えることで門戸が開かないとも限らないではないか。

酒巻 修平

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