考えるということ

 人の頭脳の使い方は色々あるが、考えるすなわち大脳を活動させる周辺を分析してみると、そこには記憶、思考、創造というようなものが浮び上がる。

 考えるためには記憶した情報を脳の中に保存しなければならない。解剖学的には海馬という部位がその役目を担うと言われている。

 海馬は情報を収集し、保存する二つの役目があるのか、それとも収集はまた違う部位が担当するのか分からないが、その二つがあることは間違いないように思われる。

 情報は保存されて必要に応じて取り出される。そうでなければ情報を保存しておく意味がないから、取り出されない情報はやがて消えていくだろう。

 その辺りはコンピューターの機能と同様に近いが、コンピューターができないこの消去が自動的に行うのが人の脳だ。

 人の体の動きの制御機構はコンピューターと酷似しているが、コンピューターにできて人にできないこと、あるいは人にできてコンピューターにできないことも多い。

 コンピューターの特色は高速、正確であり、人ができることは自動的なことである。

 コンピューターに情報を取り込ませまた消去させるには人が介在しなければならない。

 人はプログラムを自動的に構築することができるが、それをコンピューターはできない。

 正確に分析するとコンピューターには死がないが、人にはそれがある。コンピューターはパーツを交換すると無限に生きていけるが、人に保存された情報は死によって消滅するのが寂しい。

 コンピューターは情報を移しかえることもできる。

 さて考えるということは情報を操作することだ。情報を取り分けそれを集積し、整理整頓する作業だ。

 創造は何もないところから始まると思われているが、そうではない。

 作曲家がどうしてあのような素晴らしいメロディーを作り出すか、自然に沸いてくると聞いたこともあるが、そうだろうか。

 人は男女の精子、卵子が結びついて生まれる。従って持って生まれた情報が伝えられる。

 だから先祖代々から面々と伝えられた情報が取捨選択されて自分の脳に埋め込まれているだろう。

 これはすでに情報だ。そこから性格が形成され、能力も遺伝するだろう。

 もし作曲家がメロディーは自然に浮ぶというなら先祖が蓄えた情報が元になっている可能性が捨てきれない。

 だから創造も思考も情報なくしては成り立たない。

 人の体はデジタルとアナログの集合体である。体は電気を作りだし、磁気も備わっている。

 それらが命令を下し、脳を含む人の体が制御され作動する。作動するのはアナログである細胞やその集合体である諸器官だ。

 電気や磁気は人の体の外にも影響を及ぼす。だから人が考えることは他の人にも同期するだろう。

 幽霊がいるとは思えないが、霊魂やそれに纏わる現象はそんなことで説明が付くかも知れない。

 そうして霊魂は他の人にも乗り移り、そういう意味では人も不死である。

 徒らにそんなことを考えても誰に悪影響を及ぼさないから、それは個人の楽しみである。

 考えることは他人に任せ、存在する情報や手段で行動するのも便利だが、古典的ではあるが、自分自身の考えだけで行動するのもまた楽しい。

酒巻 修平

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