会話術について

 会話は人と人が互いに通じ合う言葉で話し合うことである。人と猫、犬、鳥などとも意思の伝達がある程度はできるが、共通する意思の伝達手段は限られていて言葉が必要な会話は成り立たない。

 そこには動物に取って生きていく上で必要な信頼関係から来るテレパシーが唯一の意思伝達手段で、それによる通信があるだけである。

 人と人の会話と分析するとそこには深い意味や闇があり、とても興味深い。

 人と人は何の信頼関係がなくても会話を交わさなければならないという社会の要請がある。

 だが一般的には互いに会話を交わしたい、その上で時間を共有したい同士に成り立つのが会話であろう。

 夫婦の共有時間の主要な過ごし方は会話をすることだ。会話はそれくらい大切な人間としての生理である。

 だから会話の仕方を疎かにしてはならない。有意義とまではなくても、自分の言いたいことを明瞭にあるいは故意にぼかして会話を進めることが求められるのではないだろうか。

 酒場での会話は仕事関係や互いの生活に関することが多い。それは会話をしている人たちに共通する興味だからだ。

 面白いことに相手の話しを聞きたいか聞くのが上手な人がいる。一方では話しが上手で、話題に事欠かない人がいる。

 どちらが好まれるかは会話をする人によるが、話しをするのが得意で話し続ける人は相手もそうである時には、その人たちは会話をする時間が少ないだろう。

 私は聞くのも好きだが、話すのも好きだ。自分には独自の考え方があり、それを聞くのを好む人がいると思えば、私の会話を途中で遮って話しをし始める人がいる。

 そんな場合、私は不満足で、相手も私が話している間、面白くないに違いない。

 このブログを書き始めて2年ほど経ったが、会話の中で使う言葉がある程度正確になり相手に分かりやすい表現をすることができるようになった。

 文章を書くのは何種類かの意義があるだろうが、会話が上手くなるとは思いもよらなかった。

 耳も発達した。そんな耳で聞いていると面白いことが分かる。会話が下手な人は一度聞いても意味が理解できないようなことを言う。

 これは朝日新聞などもそうだが、聞き直さないと会話が途切れてしまう。

 耳触りな言葉を使う人もいる。聞いている人はさぞかし我慢していると思うのだが、人の幸不幸の何割かは使う言葉で決まるようだ。

 会話は残らないが、聞いている人の脳には刷り込まれる。だから覚えている人は長く覚えているものだ。

 会話は相手がいて成り立つものだから、相手や自分の精神状態によって変わるものだ。

 昨日話したいと思っていたことも今日はそんな気分になれない。だが相手の気持ちが高揚していると相手もこちらも饒舌になるだろう。

 会話ほど文化的な行為は少ない。人以外の動物には会話はない。あるのはテレパシーによる必要最低限の情報の交流だけだ。

 朝起きると家族がいる人は会話を始める。家族内でも自分が発した言葉が誰かを傷つけることもあるし、幸福な気分にさせることもある。

 知能の上下、年齢差、社会的地位の違いによっても会話の内容や仕様する言葉に差が出るだろう。

 自分の思い付くまま、言葉を発しそれが相手に良く受け入れられる。そんな相手を持つことは幸せだ。それを友達という。

酒巻 修平

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