テノールの発声法

ここに書くことは実際に習い、そしてステージで歌った経験を元にしているが、芸術に終点はない。絶えず発声を改良し、発見があるのです。

自分の発声が良ければどのように発声したかを分析することは大切です。だからこの一文は絶えず改良され変化していくので、その点を考慮して接して頂ければ幸いです。

男性のテノール、バリトン、バス、女性のソプラノ、メッツォソプラノ、アトト、全て発声の根本で究極的な技法は同じだ。しかしテノールには加えて独特のテクニックが必要とされている。

それは多分高音の発声に他の声区とは違う輝きやパワーとそれを支える技術が必要だからだ。高音の発声法をアクートと言う。

音楽を歌うことは人にだけ許されたものだ。しかし犬も他の哺乳類も声を出し、それは芸術とは言わないまでも、声であることには変わりがない。動物には声を出す機構が備わっている。それを上手く活用するのが歌唱である。

歌唱は楽器の演奏とは違い、まず楽器を作ることから始めなければならない。発声の方法によってその楽器は良くも悪くもなる。相当な悪声の持ち主も人前で歌って感動させることができるのは人にだけ与えられた天賦の才能である。

声は管楽器のように息を動力としてリード即ち声帯を震わすことで得られる。究極的には声帯と息を如何に使うか、コントロールするかという技術に掛かっている。

だから効率の良い息の生成と声帯の巧妙な使用法が発声の重要な鍵となろう。また発せられた声がどのように響くかは同時に重要なことで、このテクニックは歌も管楽器も同様だ。

発せられた声は体の隅々まで響くものだが、響く所が固く、空洞が大きいほど澄んで輝きそして深みのあるものになる。寺の鐘と木魚の響きの違いを思い浮かべれば分かる。鐘の大きさや形状も響きに影響を与える。

大きな振動装置は頭蓋骨と胸郭である。そこから回りの骨が振動して増幅される。頭蓋骨は大きくて丸く広がりそして空洞がある。

響きは息が続くことに作用するし、声が遠くまで届かせる。タマーニョ、カルーソ―の時代を経てジーリ、スペインの偉大な歌手ミゲル・フレータ、それにラウリ・ヴォルピの時代までは頭蓋骨の後頭部を広げるように響きを増幅していた。

それが声の奥深さに繋がり、その後のデル・モナコ、コレッリ、ディ・ステーファノの時代になるとそんな響かせ方は姿を消して声は輝いていても平板になった。

パバロッティになるとそんな手法は忘れられたようになり、声には奥行が無くなっている。そんな中、ジューゼッペ・ジャコミーニの響かせ方は独特で頭蓋骨の後ろではなく真ん中から聞こえる。

頭蓋骨は顎の骨から始まる。カルーソーやタマーニョなどはその顎の骨まで共鳴をさせているがほとんどの歌手は偉大であっても頭声はもっと上の方だけに限定して共鳴しているようだ。だから声に広がりと奥深さが足りない。

吸った息は無駄に使用してはならない。練習ではまず息を吸ってそのまましばらく止める。そしてそのポジションのまま息を静かに出そう。

このとき発声が関係している胸郭や口の大きさを変化させてはならない。変化させると発声が不安定になり、輝きのある声が出ない。アクートもできないだろう。

吸った息の一部は声帯から上の部分、すなわち鼻腔辺りにある。そして残りの大部分は胸郭の中に留められるだろう。

声帯の適切な使用法と響きはこの鼻腔辺りの部分に溜まった空気を排出するような技法で得られる。

ということはこの部分の空気と肺の中の空気は繋がっていて、切れていてはならないということだ。

言われている「息は押し出すのではなく、引っ張り出す」というのはこのことを指しているのではないだろうか。

上の部分の空気は上部の硬構造、そこから下の大部分の空気は胸郭など大きな硬構造を振動させ響かせる。

息はできるだけ多くの部分声を作るために使う。だが時代が現代に近寄るにつれてその割合が少なくなる。これは是正しなければならない。

声帯は3層構造になっていて、声楽で声はその一番外側の粘膜の部分が振動して発生させる。言われている声帯は軽く閉じるというのはこのこと言っていると思われる。

息が声帯を通過しないと声は発せられない。しかしそれを意識する歌手は少ない。声帯の閉じ方が不十分であると適切な声が発せられない。

だがその部分に直接コントロールされていない息が通過すると圧力差を声帯が受け止められない。

声帯の粘膜部だけを使うように心がけると口は大きく開くだろう。口を適正に大きく開くと粘膜部だけを使うことができる。口の開き方と声帯の使い方はそんな相関関係にあるのだ。

声帯を通る息が声帯の粘液部分ではなく、その元の部分にまだ当たり過ぎると声は遠くに飛ばないし、高音が出難くなるだろう。

息を止めなければならないと指導されるが、そんなことはできるはずがない。もしできれば息が止めておける時間発声することができる。それは1分以上だ。

分析すると息を回すということだ。声帯から上にある息を盆の窪の中辺りに当てるようにすると空気、すなわち息が回転する。回転させるのが上手い人の声は長い。これをジラーレと称するようだ。

声帯を通過した息は自然に各所を響かせる。上部域は頭蓋骨、そして胸郭の中にある息は胸郭を響かせる。

間違っても口の中に響かせてはならない。口の中は肉の柔らかい部分が占め、声の振動が伝わっても音は鈍く、遠くには飛ばない。深さもない。

日本人は日ごろの会話の声を小さくするように訓練付けられているので、その癖がどうしても抜けない。これが口共鳴である。

空気圧による動力でコントロールされていない息が声帯に直接高圧で当たると声帯を傷める。

息が声帯に一定の圧力として存在することが極めて大切だ。息は無駄に流してはならない。歌う時には止めるものだ。

息が最も大きく関係してくるのは横隔膜だ。横隔膜は人の体で一番大きな筋肉で、人の健康も大きく左右する。

肺の容量が大きくなれば肺の中の空気圧が低くなり外部の比較的高圧の空気が流れ込む。これが吸気で肺の容積が小さくすることで今度は呼気が得られる。

胸郭を縮めるか横隔膜を大きくすれば空気は外に出て行こうとする、この時に出口を声帯で塞ぐと声が出る。

一般的には肺呼吸をする人は肺の容積を小さくして息を吐く。腹式呼吸の人は横隔膜の大きさの変化を利用して呼吸をする。声楽の技法では基本的には腹式呼吸を用いる。

結局歌唱(発声)は呼気を動力として声帯で生成した声を共鳴させることで成り立っている。力むのは何処か一部の筋肉だけを使うことで起こる。だが全体的には力を入れないと発声はできない。力は各所の筋肉、骨格、口の形の保持に使用される。

力まない発声とは呼吸器官全体に必要な力を加えることによるものだ。だから発声は腹式呼吸を基にしているというのは大雑把な言い方である。

歌を歌おうとすれば声帯はその音の高さに合った緊張と形を取る。音痴の人はまずいないから誰でもこの声帯の動きは自然にできる。

声を響かせることで忘れてはならないのが、横隔膜の響きだ。声帯で生成された声は全てが上部に行くわけではない。響きはあらゆる方向に伝播していく。その時にその響きを横隔膜で反射させると深みがあり、ボリュームのある声を得ることができるだろう。

横隔膜はできるだけぴんと張らなければならない。太鼓の革が少しでも緩むと音は鈍くなり、豊さが欠如する。

横隔膜とその周辺の骨はまるで和太鼓のように音を反響させる。これを一番求められるのがバリトンの発声である。例えば「Titta Ruffo」などを聞けば歌手がいかに横隔膜を共鳴装置として使用しているかが分かる。

彼は天才だから、良い発声する努力をすると筋肉の適当な使用が可能になる。だが彼も理論は理解していない。感性が良くて自然にそのような共鳴を得ているのだ。これは感性によるものだから感性が低くなるところでは発声は少しもの足りなくなるのは当然の出来事だ。

日本人の歌手が陥る発声はここにある。ほとんどの歌手が横隔膜の響きを利用せずに発声しているので、音の深みがない。ここでカルーソーの発声を聞いてみよう。低音から高音に至るまで横隔膜の響きを完全に利用している。

カルーソーは頭も良い。高度な感性と発声理論の両方を駆使して発声しているので、発声にむらがない。

人の横隔膜の張りが足りないと、聞いていて響きが横隔膜の真ん中よりから発せられるように聞こえる。マリオ・デル・モナコの最高音が少し物足りないのはこの所為だ。相当苦労し、訓練してできるものだが、彼の教師はそれに気が付かなかったので、モナコは最高音に付いては楽な発声をしてしまっている。

それはまた声帯の粘液部分より元の部分に息が多く掛かっているのではないかと思われる。そうすると最高音は出にくくなる。それをモナコは横隔膜の力でカバーしているのだ。

中高音は極めて力強いがH,Cでは物足りない。残念なことである。

もうほんの少しその辺を弁えて努力すれば達成できたのにと残念である。フランコ・コレッリはこの張りが少々足りないので、音声の響きが横隔膜の中央よりから聞こえる。使う声帯の部分も少しだが外れている。しかし良い声だ。

晩年近くのルチアーノ・パバロッティは逆で比較的低温部では張りが足りないが、最高音では張りは充分である。ただ横隔膜が下に位置しないので、発声に深みが不足している。

ラウリ・ヴォルピはもっと良い。比較的低音では横隔膜による響きにもの足りなさが残るが、最高音では張りは充分だ。ただやはり横隔膜は一番下にはきていないので、深みとボリュームに少し難がある。

だが声帯の使い方は極めて巧妙で超高音が出せる。フランコ・コレッリは演奏会の前、必ず発声をヴォルピに聞いてもらったそうだ。

ユッシ・ビョルリンクの良い時の発声は素晴らしいが、感性だけを駆使する発声で論理的な考察はしなかったと思われる。だからむらが多い。年を取ってからの発声は少し耳触りだ。

ジューゼッペ・ディ・ステーファノも同様、歴史的な歌手だが横隔膜の張りが足りなくてカルーソーやジーリの域には達しなかった。響きは横隔膜より来ているがそれは中心部に向かったところからだ。感性が素晴らしいので理論は考えない。

その点異色なのがスペインの偉大な歌手、ミゲル・フレータだ。横隔膜の響きは完璧でそれも音を軽く出す。カルーソーなどと比較してレベルの低さがあるが、それは体全体に力を入れていないからだろう。

ベニアミーノ・ジーリはカルーソーとマリオ・デル・モナコの間に活躍した歌手だ。手本とすべき発声をしているが、やはり物足りなさがある。横隔膜が下に下がりきっていないからだと思われるが、深みに少し欠ける。

何と言っても特筆すべきはカルーソー、フランチェスコ・タマーニョ、それにバスではフェドール・シャリアピンであろう。横隔膜は下に下がり切り、張りも充分である。

エンリーコ・カルーソーは若い時、軽いテノールであったが、喉にポリープができて発声を変えた。それが功を奏してあの偉大な歌手ができあがった。タマーニョは歴代一の歌手で、カルーソーを弱々しいテノールと称したが、カルーソーが発声を変更してからはカルーソーを偉大な歌手と褒めたたえた。

彼も感性だけを頼りに発声しているように思えたが、良く聞くと声帯の使う部分の選択も完璧のようだ。

現在の世界的なテノールはジョナス・カウフマンとフアン・ディエゴ・フローレスだが、彼らには胸郭の響きが不足している。頭声は良いがどうも迫力に欠ける。最後の偉大なテノールはジュウゼッペ・ジャコミーニと言われるのも仕方ないだろう。

ポール・ポッツは芸能人劇で批評する対象とはならない。だが無名で素晴らしいテノールもいるようだが、聴く機会に恵まれないのは残念だ。

横隔膜を張るにはその横の筋肉を引っ張らなければならない。そうすると下腹の前側が前に出る。出っ張り方が少ないのは横隔膜が下に降りきっていないことを証明するだろう。横に引っ張ると言っても横隔膜が伸びることはない。全体が緊張の度合いを増すのだ。

未熟な歌手において吸気については腹式呼吸で行っているが、呼気は胸郭の容積を減少させて行っているようだ。それでは深みのある声は出せない。横隔膜の容積を少なくして吸気したあと、呼気は横隔膜の体積の増加及び位置の調整で行わなければならない。

体内の全ての筋肉は連続して配置されている。だからどこかの筋肉に力が加わるとそれに連なる筋肉も影響を受ける。

筋肉は連結していず、神経が繋がっているだけだと述べる人もいる。結果はどちらでも同じだが、要は脳をそのように働かせれば良いのだ。

声の生成はもちろん声帯でなされるが、声帯の近くの筋肉はできるだけ使わないようにしたい。その筋肉は下部の筋肉と連動しているので、できるだけ遠くの筋肉を使いたい。声帯付近に力が加わると喉声になる。

さて声帯には裏表があり、どちらも声を発生させる。表を使う声は主として呼気により得られる。これは通常の発声法だ。だが裏も声を生成することができる。息を吸うことで得られる声は声帯の裏を使っているのだ。

主たる声の発生源は声帯の表である。裏に比べて強い声を出せる。だが声帯の裏を使って発生するのは楽だ。イタリアのポピュラー歌手は声帯の裏を多用している。またネットでアクートのやり方として発声している人はこの方法がアクートの方法だと間違って理解している。

アクートは声帯の奥の骨を後ろに引っ張ることで達成される。偉大な歌手は主として声帯の表を使ってアクートをし、それによって輝かしくボリュームがあり奥行がある発声を成し遂げている。

最高音であるHやCを出すときは特にその声帯の奥の骨をできるだけ奥に引っ張るようにしないとひっくり返ってしまう。そのテクニックを覚えてしまうともうそんな高音の発声で失敗することはないだろう。

だがHやCはその下部の音とは明らかに発声方法が違うことは覚えておかなければならない。

いくら良い声で歌ってもテノールに取ってH,Cが出せることが生命線である。どんな理論を打ち立ててもその高音が出せなければテノールとして通用しない。

そういう意味ではテノールの教師はテノールであるべきかも知れない。バス、バリトンでもBまで出せるがH,Cは絶対に出せない。

反対に低い音を良く響かせるには胸郭の下の方を使う。無理なく低音の発声をすることができるだろう。

どの声区でも同じであるが、胸郭は大きく広げて保持しておかなければならないが、息がなくなっていくにつれてそれが狭くなってはならない。広いまま容積を保つと自然に横隔膜が膨張して声帯などに力が余計に入らない呼気ができる。

スポーツと同様歌唱もいくつかの複数の筋肉を同時に使うことにより行う。単純に息を吐くのは容易いが息をコントロールし、響かせるように筋肉のポジションを取りながら息を出すには長い訓練を要する。

息と音は分離しなければならない。生成された音に呼吸音が混じるとクリアさがなくなるので、難しいテクニックだが成し遂げなければならない。

これを完全に成し遂げているのはやはりカルーソーか。タマーニョも良いが残っている録音は引退後のもので最盛期にはどのような声をしていたかは判然としない。他の歌手は偉大であってもこの二人の域には達していないようだ。

歌は言葉を伴ったものだ。子音は口やその中、舌などの形を変えるだけで息を伴わない。子音を出すとき息が漏れないように気を付けなければならない。音が出るのは母音だけだ。

基本的な筋肉の使い方を熟知していると、声楽においてもそれを応用できるものである。筋肉は引っ張ることで機能を果たすが、引っ張るというのは正確な言い回しではない。

筋肉は引っ張る方向に力を掛けるが、筋肉そのものは伸びない。筋肉の中に力が加わるだけだ。この時筋肉はその分緊張するだろう。

それには筋肉全体に力を加える必要がある。これを成し遂げるには筋肉の一番奥から力を伝えていかなければならない。だから腕の筋肉が盛り上がっている人は力が強そうで案外そうではない。本当に力が強い人は筋肉がすらっとしている。

頭蓋骨は共鳴装置であるが、厚すぎると却って声が響きにくくなる。そんな人は近鳴りになるかも知れないし、蚊の泣くような声になりがちだ。残念ながらこれは治せない。練習でできるだけ立派な声を生成する以外にないだろう。

天才は上記の発声法の多くを感性で瞬時に成し遂げる。成し遂げる発声法が多いほど天才度は高いが、我々凡才はそうはいかない。

だが気を落とすことはない。やるべきことを一つずつマスターしていけば良いのだ。一つの技法をマスターすれば次の技法に移る。考えなくてもできるようにならなければ次に行ってはならない。

それはメトードと言われるもので、マスターすれば使われた脳はシナプスの量を多くして、考えずに自然に行える。

身につけなければならない技法はそんなにない。10年もすれば全てマスターできるだろう。だが間違った技法を身に付けて脳が自然にその技法を再生するようになるのは怖い。

古今の大歌手と言えども完全にマスターしている人は少ない。あなたも訓練次第で大歌手と同様の発声をすることが可能だ。

自分の声を自分で評価するのは簡単ではないが、それでもある程度はできる。まず自分が楽に声を出しているかどうかだろう。

発声法が悪いとどうしても疲れる。体が硬くなるし、そして息も短くなるのは自然の流れだ。良い声は柔らか味がある上に一本芯が通っている。

良い発声をしようとすると口は自然に大きく開く。どのように口が開いているかはどのような発声をしているかのバロメーターになるだろう。

声が響かないところで発声するとどうしても大きな声を出し勝ちである。そんな場所でもいつもコントロールされた声を出すようにするべきだ。

教師に関して気を付けなければならないのは教師の指導法が拙い場合だ。教師がいかに良い発声していても生徒の指導が下手な場合、生徒は間違った発声法を取るだろう。

そうすると習うことにより素人より却って発声が拙くなることがある。発声の基本は話し言葉である。だが話し言葉は音が小さい。それを大きくしないと大きな会場では後ろまで声が届かない。

話し言葉は言語によって違うがもっとも声楽の発声に近い声帯のポジションを取るのはイタリア語であろう。

意識して口の中の筋肉の方向を感じると良く分かる。筋肉は全て前の方に向かっているだろう。後ろに向かうと高音が出ないし、音のダイナミックさが失われる。だが決して口の中の筋肉や膜に力を加えてはならない。

これを実行しているのが92歳の歌手Angelo Loforese で、演奏会での解説で高音の出し方をそのように説明している。

そうすると自然にアクートやソットボーチエが達成できる。そして超高音も容易に出るだろう。

まとめると

1.      発声の関わるどの部分も固定して動かしてはならない

2.      筋肉は引っ張るのではなく中心部を緊張させるように使う

3.      呼気は口の中で回す

4.      力はできるだけ横隔膜あるいは丹田にだけ入れる

カルーソーは発声が人によって千差万別だと言ったが、それについては説明しなければならないだろう。

確かに胸郭、頭蓋骨、筋肉の強さ、弾力性など多くの点で人は違う。だが発声の技法は同じだ。

呼気により体内の空気は動く。その動きは気象と同様で、極めて複雑である。筋肉の強さや骨格の違いによる影響はそんなところに現れるので微妙な差が出る。

その操作の違いを教えるのが教師だ。教師は歌手それぞれの特徴を捉え、発声の微調整をしなければならない。

良い教師とは基本的な技法を知り、使え、それを生徒に教えることができる人である。

だが教師の教えることも全てが正しく理に叶っていると期待してはならない。どの教師にも欠点があるもので、だから自分自身でも良く考え、その欠点については修正しなければならない。

全ては自分の研鑽に掛かっている。どれだけ考え、どれだけ練習するかが唯一正しい姿勢だ。

テノールを歌う人には悩みが多い。その悩みのいくつに答えるのも必要であろう。

1.    高音が出ない

何と言っても一番の悩みがこれだろう。それを回避するにはいくつかの技法を取らなければならない。でもその技法は誰でも簡単に用いることができる。第一は胸郭、口の中、声帯の位置、その他発声に関係する全ての箇所を動かさないことだ。

F#くらいからアクートという技法を取り入れなければならないとされているが、各器官が正しい発声のポジションを取ると自然にできるものである。

1.F#辺りに音が上がっても口や声帯の形、位置を決して変えないで発声しなければならない。そこを超えるともうBくらいまでは自然に出るだろう。

2.もう一つ追加で述べるとすれば胸郭を最大限に広げ、そのままの形を保持したまま声を出すことだ。

3.声は盆の窪の方に向かって中回転させるそうするとそのうち自然に鼻腔頭蓋骨に音が響く。そうするともう高音は怖くなりなる。

4.声帯の奥の骨を後ろに引く。だが実際は引くのではなく、力の方向性をそのようにするのである。

2.近鳴り

多分口の中で音(声)が響いていて、胸郭、鼻腔、頭蓋骨に声の振動が上手く伝わっていないからだろう。

1.口の中に響かせない

2.胸郭を最大限に広げる

3.声と息を分離させる。それには息をできるだけ止め、声は硬い部分に充分響かせる。

3.声が枯れる

声帯の使い方に問題があるだろう。

1.口の中や喉の筋肉は使わない

2.横隔膜を使う。

3.喉より上部の息もできるだけ止めて、音を両犬歯辺りから鼻腔に向かわせる。

4.声帯をしっかりと合わせる

酒巻修平の声楽教室

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