何故天才がいなくなったか

 読んだ本の中に「科学の終焉」というのがある。今後もう科学の発達する余地はほとんどないという概要だ。

 もしそうならもう大きな発明はないだろうし、ちょっと考えても私は思い付かない。ドラえもんの「どこでもドア」など作れるはずはないし、ノーベル賞の受賞内容を見ても小型の発明というより改良レベルのものが多い。

 もう本当に科学は終焉するのか。人類にはもう謎や新しい事物は存在しないのか。そうであれば寂しい限りだし、将来に対する夢も半減する。

 でも考えると人体に関することはほとんど解明されていない。病気はどのようにして起こるのか、夢は何故どのような機序で脳に浮かんでくるのか、

 宇宙の果てはどうなっているのか。そんなものはあるのか。地球の温暖化はどのようにして起こっているのか証明されていない。

 古代に巨石をどのように運搬し、積み上げたかさえ完全に解明、証明されたわけではないし、文明の前のプレ文明は存在していただろうが、それもどのようなものであったか。そんな未解明なことも多いし、凡人には到達しない新しい考えがあるだろうし、新しい物もまだ発明の余地があるに違いない。

 発明とは無関係に思われている互いに遠い情報を分析、統合、整理して成り立つものだ。

 それができないだけではないだろうか。それはどういうわけだろうか。どうしてそれを成し遂げる天才は消えてしまったのだろうか。

 知能指数が200を超えるような人は今も何人もいる。そんな指数だけでは知能は測れないかも知れないが、人の頭脳は古代や中世、産業革命の時代より劣っているとも思えない。

 だが天才は輩出しない。どこかに消えてしまった。どうしてだろうか。社会の状態が天才を生む素地から外れてしまったのか。

 どうしてもそんな疑問が沸きあがってくる。一体天才はどうしたのか。消滅したのか。天分を持つ人物がその才能を発揮できないのか。

 もう10年もこんな疑問を持ち続けている。もし天才がいなくなったとすればホモ・サピエンスの頭脳が劣化したとも考えられ、それであれば寂しい限りだし、将来の人はどうなっていくのか気に掛かるところだ。

 そんなことを考えていると最近ある本を読んだ。そこには天才が消滅したとは書いていなかったし。最近大発明がされなくなった理由も記載がなかったが、あるヒントがあった。

 世の中が複雑になり過ぎ、人はその複雑さに対応するために脳を使う。それは良くないことだというのがその著者の意見だった。

 そう言えば我々が小さい時はコンピューターゲームもなかった。遊びと言えばかくれんぼ、焚火、かけっこみたいなものだった。全て単純な遊びだ。

 我々はあらゆる知恵を振り絞って焚火の材料を集め、隠れる場所を探したものだった。だからそんな遊びに掛けては天才的であった。

 小さい所に知恵を傾け、深く掘り下げるということは脳の使い方としては素晴らしいことだ。

 だから頭脳の良い人はある特定のことの研究のため、それこそ寝食を忘れ、没頭したのだろう。

 お金の使い方さえ知らず、預金など理解できなかったかも知れない。本能は追っただろうが、その他頭脳を研究以外のことに使うことはしなかったのではないか。

 それが研究を奥深くして、大きな発明、発見に繋がったとは言えないだろうか。そう思いたい。

 ホモ・サピエンスの頭脳力が低下したとはどうしても信じたくない。もっと研究にのめり込み、究極の真理に辿り着いてもらいたい。

 だが社会が複雑になり、誰もが、研究者、学者さえどうしても社会構造に影響を受ける。

 研究者はそんなことに頭を使って欲しくない。社会はこれ以上複雑になってもらいたくない。

 そんな希望を持っている人は多いのではないだろうか。

酒巻 修平

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