便利だが不便な社会
銀行と契約をすれば家にいてお金を振り込みすることができる。振込料も無料だ。だから交通費も掛からないから安上がりだ。
外出して電気や家電を消し忘れても外から消せる。遠くに出かける時はネットの情報でどのように乗り換えるか、出発時間はどうかなども教えてくれる。
コンピューターを使用すれば足し算、掛け算、引き算、割り算など瞬時に答が出てしまう。勿論もっと複雑な数学もやってくれる。
買い物もする必要がない。電話かインターネットで食材などを届けてもらえるし、定期的に配達もしてくれる。
スポーツの試合の結果や過程もコンピューターが教えて示してくれる。たまにレストランに行きたければ場所、料理の種類、料金を提示してくれるし評判がどうであるかも知ることができる。
それどころではない。アルハンブラ宮殿の今の様子を見ることもできるし内部さえ映してくれる。
あなたは老人で病床にあって動くことができなくても誰かに頼めば外国の様子さえ見ることができる。
映画もそうだ。契約すれば見たい映画を見ることができる。料金を払いに行く必要はないだろう。自動的にかつ安全に支払いを済ませられる
5、60年前にそんなことはできただろうか。お風呂が家の中にある人は少なかったし電話、クーラー、ベッド、テレビ、などない家が多かった。
今はどこにいても誰にでも掛けられる携帯電話は誰もが持っているし、メールだってできる。そこでクイズをし、映画を見て、ゲームを楽しむ。退屈する暇もないくらいだ。
極めて便利な世の中に我々は住んでいる。どうしてそんなに便利になったのか、あまりの便利さに老人たちは付いていけないくらいである。
昨日私の携帯電話のバッテリーが上がってしまった。充電器は持って出なかったので使いようがない。
そうすると時計を嵌めていない私は時間を知るのが困難になる。連絡を待っている相手にそれを知らせるのは一苦労だ。
銀行から自分の預金を引き出された人もいるし、契約している会社の都合で通信ができなくなることもある。
借りている器具が故障すると交換してもらわなくてはならないが、お客さま番号を忘れてしまうと大変だ。WIFIを頼りにしていたがそれも使えなくなる。
もちろんテレビは点かないから社会の情勢は知る方法がなくなる。銀行はストップしてしまうからお金もない。
食料が尽きて食べるものがない。お腹が減った。喉が渇いた。そんな状態を救ってくれる人たちはいるが忙しくていつこちらに回ってきてくれるか予想が付かない。
電車も止まっている。友人や親戚に助力を依頼することさえできない。お腹が空いた。目が回りそうだ。でも誰も助けてくれない。
スーパーには食料品が山積みされているがお金がないので買えない。盗むことを考えなければならない。
暗証番号を忘れてしまうとそれを知るのは大変だ。銀行まで行ってもお金を引き出せない。手順が複雑過ぎてゲームをやることができない。
不便だ。便利な世の中が急に不便になる。暗証番号、アプリのダウンロード、使い方。知っている人だけができる世の中。これは老人の戯言ではない。
暗証番号、IDは一つではない。いくつもそんなものを持っていると全てを覚えるのが困難なので、コンピューターの中に入れておくとハッキングされる。
銀行からの連絡だと思っていたら詐欺メールだった。ネットで購入した商品が欠陥品でも交換はしてくれない。
そうすると便利さを元に活動していた人たちはたちまち困ってしまう。便利なのか、不便なのか。何でも知っている人に取っては便利な社会もそうでない人には不便この上ない。
そんな不便さを解消して欲しい。アプリのダウンロードは常識があれば誰でもできるべきだが、そうはなっていない。ダウンロードのやり方を設定した人の能力が薄いからやり方が複雑になる。
さてこの文章は何だろう。統制が取れていないし何を言いたいか意味不明でもある。
コンピューターを使う頭から生み出されたからで、本来もう少し高等である人の頭を使っていない。
コンピューターは道具として使わなければならないのに、社会はコンピューターの指図通りに動いているように思える。
芸術はコンピューターでは生み出せないのでそんなものは廃れる。だとすれば未来の社会はもっと便利でそして究極的には極めて不便なものになるだろう。
酒巻 修平