なぜ、冤罪が発生するのか?

 利根川事件というのがある。幼児が攫われ殺害された事件で、事件に巻き込まれた幼児は何人もいる。

これは未解決事件とされているが、実はそうではない。現在殺人事件の時効はないので、解決できるし犯人も判明しているが警察は未解決事件として処理したいだけだ。

真犯人が分かっているのにどうして捜査しないのか、その辺の警察の心理が冤罪に繋がっていくのだ。

この事件で有罪の宣告をされた人物がいたが、今は冤罪だと判明しているのにその修復がされないどころか、その人の死刑が執行されてしまった。

まことに恐ろしい。何故こんなことが行われているのか。警察、検察、裁判所はそれに対して反省をし、再発防止に努めないのか。

人が人を捌くという点に問題があるというのが最大のポイントであるが、これは改善し、違う方法を取ることができない。

まさかAIを使うこともできないだろう。

では警察、検察、裁判所はそれぞれ何故そんな事態が発生するのか考えてみよう。

警察官は虚栄心、自尊心、劣等感、優越感など人が過剰に持ってはならない精神を多く持っている。それは彼らが能力を遥かに超える権限が与えられているからだ。

自分たち自信に問題発生すればそれを糊塗し、自分たちの責任ではないように振る舞う。だがそれは何とか防止する方法があるはずだ。

例えば故意に証拠を隠滅して無罪の人が死刑になってしまったら、関係した警察官を殺人罪に処すという方策も取れる。あるいは尋問の可視化もあるだろうし、検察官による再調査も可能だ。

証拠を隠滅すれば証拠隠滅罪も適用しなければならないだろう。時間や人件費が余計に掛かるけれど人を冤罪に陥れるより問題は少ない。

警察官は能力を遥かに超える権限を与えられていることが問題の根源にある。警察官は証拠を検察に引き渡すところで任務終了としても良いだろう。

何か手はある。冤罪で死刑になるなど江戸時代ではあるまいし、利根川の幼児誘拐殺害事件などはまだ20年ほど前の事件に過ぎない。

検察にも警察と同様の縛りがなくてはならないだろう。フロッピーディスクを改ざんした男もいるし、そんな人物がいるということを考えれば法及び制度の見直しをすべきだ。

裁判所は親切で頼りになる役所だが、書類や申し立てなどだけで事件を処理する。私も何度か裁判所を利用したことがあるが、真実と違うところや見過ごし、過誤などにより民事裁判は判決されるケースはないとは言えない

民事裁判で真実ではないことを元に判決がなされるということは刑事事件でも似たり寄ったりのことが行われているに相違ないと想定できるだろう。

裁判官は捜査官ではないので、現場にも行かないし、証拠とされるものが本当に事実を表しているということは保証されない。

例のフロッピーディスクの改竄が何故発覚したか覚えていないが、そんなことはそれ以外のないという保証できるのだろうか。

それを裁判所は発見できるシステムになっていない。死刑判決が出る事件では裁判所以外に判決と同等程度の影響を及ぼす何か制度がなくてはならないだろう。

人は死んでしまってはもう元に戻らない。懲役などではその期間は元に戻らないが、死亡とは重さが違う。ここに死刑制度が反対される理由が存在するのだ。

被害者の遺族に取っては厳罰を持って犯人を処罰してもらいたいだろうが、もし犯人とされている人物が冤罪で犯人とされているなら、それこそ大きな被害を冤罪者にもたらす。

人が人を裁く難しさが存在している限り冤罪は消滅しないだろう。そして冤罪で死刑にされる人もなくならない。それをどう処理するか人の良心の問題であろう。それを解消する一つの方法が裁判員裁判であろうが、裁判員も書類や申し立てだけで事件を判定するのであれば問題は消滅したとは言えない。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

犬の考え、猫の考え