三大宗教が求めるもの

 歴史上宗教は数多くある。神道などの自然崇拝なども宗教と数えると数限りがないだろう。

 アフリカなどは一つの部族に一つの宗教があるかも知れない。だが現在世界を動かしている宗教は下記の三大宗教であるし、他の宗教に関する教えなど我々がなかなか知り得ない。

 その宗教とはキリスト教、イスラム教、そして仏教である。仏教はアジアに限定して存在するが、これからアジアが世界の経済や情勢を牽引するようになれば仏教はアジアの人の精神を考察する時に知らなければならない宗教の一つである。

 イスラム教は今一番問題を起こしている宗教だ。その教えは「富める者は貧しき者に施せ」という根本精神を持っている。

 人が王室に生まれようが貧民窟の一家族に生を受けようがそれは偶然の成せる業で、本人にはどこに生まれるかの選択権がない。

 だからたまたま裕福な家庭に生まれた人はその教えの通り、貧しい人に施すような精神を持たなければならない。そしてそんな精神は尊いものである。

 それに金儲けの才覚を持って生まれたのはその人が前世でどんな良いことをしたわけではない。偶然に能力が備わったのである。

 それは神の悪戯なのか、何しろ人は平等には生まれてこない。だからそんな良い偶然に出会えた人はそうでない人に慈善をしなければならない。

 だが貧しい人はそんな教えを逆から考える。すなわち「自分は貧しいから富める者から施しを受ける権利がある」と自分勝手に教えを解釈する。

 彼らに取って富める国はアメリカである。だがアメリカの精神は違う。貧しいイスラム教の信者に施しなどしない。だからアメリカはイスラム教の心ない信者から忌み嫌われる。

 テロリズムが標的にするのはそんなアメリカの尊大さだ。今やイスラム教の教えは却って害になってしまった。マホメッドは嘆いているだろう。

 キリスト教の教えは自由、平等、博愛である。すなわち福沢諭吉のいう「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」の精神だ。

 勿論福沢はキリスト教を理解してそんな発言をしたわけではない。ただ口移しに言っただけで、単なる考えの模倣だ。

 このキリスト教ほどキリストの教え(後からキリスト教の高級信者が作った教えかも知れない)程守られていない教えはない。

 キリスト教の信者であるアメリカ人は黒人を奴隷にし、今でも人種差別が酷い。日本のキリスト教系の女子大学では裕福か、架空でも由緒ある家庭の女性しか入学させない。

 イスラム教の信者でも教えを逆に解釈する人は少数だ。ほとんどの人がまともな考え方をしている。だがキリスト教ではほとんどの人が人種差別をする。

 これほど教祖の教えに従わない宗教信奉者はいないだろう。そしてその傾向は永遠に続くと思われる。

 仏教はどうか。仏教の教えは「宥恕」だ。人の行いをできる限り許すという考えだ。勿論後世の坊主はその教えを少し歪めたが、いまだにその精神は健在である。

 悪人でも極楽に生けると説いた「悪人正機説」という浄土真宗の教えもあるくらいだから全ての人の行為は行為として別に考え、根本に人を許すということだ。

 これらを比較考察する意味があるとは思えないが、それぞれの宗教下で生を営む人たちはそれぞれの宗教の影響を受けるだろう。

 どうしてキリスト教徒が差別をするのか。その起源は何なのかは知らないが、それは厳然とした事実だ。

 あるいはそれはキリスト教と関係がないのか。そうだとするとキリスト教なるものはもう存在しないとも言える。

 イスラム教の教えを逆から解釈するテロリストはイスラム教徒ではない。私は自分を仏教徒とは思っていないが、人の行為は許そうとは思う。

 日本では死刑制度がある。これは仏教的な考え方と相いれない。死刑制度の功罪は種々議論されるが、人の精神は永遠に不変ではない。そ右判断すると死刑制度はいかなるものか。仏教徒でない私には考える資格がないかも知れない。

酒巻 修平

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