テノールの発声法、カルーソーの発声の解析

 エンリーコ・カルーソーはテノールの歌手としては模範にすべき発声をする往年の歌手だ。

 その前にも綺羅星のように立派な歌手が存在したと記録にはあるが、蓄音機の発明が1800年の終わり頃なので、録音としては残っていない。

 辛うじてフランチェスコ・タマーニョが引退した後に残した録音で声を聞ける程度だ。

 カルーソーの発声については自分自身も説明しているし、本にも残されている。彼は「一人ひとりの発声が違うので私がいくら解説しても意味はない」と言っているが、それでも基本的な点については共通した技法があるとも述べている。

 その言葉から歌手が自分自身の発声を改良する努力をしているが、誰も成功していない。彼から直接習ったと思われるカルーソーJRは父親の発声と同様な方法で声を出しているが、これも不足が多い。

 カルーソーが早死にしてその後を継いだのが、ベニアミーノ・ジーリ、ラウリ・ヴォルピ、それにスペインのミゲル・フレータであった。

 それぞれに高い技法で歌唱しているが、やはりカルーソーには及ばない。一番のポイントが胸の響きが不足している点だ。

 アクートを使う高音であっても頭声は主として使っているが、胸の響きは亡くなっていない。その点現在の歌手のジョナス・カウフマンやフアン・ディエゴ・フローレスなどはほとんど頭声で歌っているのと対比している。

 頭声だけだと声のダイナミズムが薄れるし、第一声に深みがない。遠くにも届かないだろう。

 ジーリ、ヴォルピ、フレータは胸の響きがあり、確かにカルーソーの後継者としてそれなりであるが、比較すると物足りなさが残る。

 胸の響きに関して言うとジューゼッペ・ジャコミーニは有り余るほど胸の響きがある。だが響きが湿っている。

 カルーソーの響きは乾いていて、例えてみればストラディバリウスのような音色を醸し出し、ジャコミーニの胸声は安物のヴァイオリンというべきか。

 カルーソーは低い音では胸の下部に響きを集中させ、高い音になるに従って胸の上部に響きが移行するようだ。

 だがそれは胸郭の下部と上部ということで、それがもっと下の腹部や下腹部に響きが落ちるということではない。

 音が乾燥しているかどうかは音が固い物質に反響しているどうかである。だから筋肉に当たる音は鈍く、乾燥していない。

 筋肉に力が入ると筋肉はより硬くなり、それが音の響きを伝える。だが筋肉はどんなに硬くても硬度は骨より劣る。だから音は絶対に骨に響かせるものであろう。音が関係する筋肉はできるだけ脱力すべきだ。

 音は共鳴する体積が大きいほど奥深く、ボリュームも大きい。だからできるだけ胸郭に共鳴させるべきで、現在の歌手のように頭骨に頼り過ぎると音が貧弱になる。

 テノールでF#以上になると頭声を交えないと声が出なくなる。これをアクートと言うが、アクートをする時は口をできるだけ大きく開けなければならない。

 若いうちは声帯に弾力性があるので、高い音も簡単に出るが、こんな声は地声すなわち白声である。

 声帯を動かす筋肉だけを使った場合、この白声になり、日本の歌手にはこれが多い。喉にだけ力が掛かった発声は幼稚である。

 体に力が入っては駄目だとの解説が多いが、力が入らないと声は出ない。

 力が入ってはいけないというのは一部にだけ力が入ってはいけないという意味で、力は均一に入れるかあるいは丹田に力を入れれば良い。丹田は音の共鳴に関係がない筋肉だし、直接胸筋には連結していないからだ。

 息は足の裏から吸うと教えられたことがあるが、そんなところから息が吸える訳がない。それは単なるイメージトレーニングで息は鼻から吸うべきだ。

 そうすることによって息は歌うのに適切な場所に入る。胸郭、特に上部はできるだけ息を留めておくのが良い。

 息がなくなってきても胸郭は息が充分ある時のように広げた状態を保てば良い響きが保てるし息が長くなる。

胸郭の一番下から頭蓋骨の一番天辺まで共鳴は音の高さによって移動するが、胸郭の共鳴は失ってはならない。

歌っている時音と息は分離している。息は鼻から吸って口から出す。だから当然息と声は分離している。どの場所に置いてもそうあるべきで、同一場所に息と声があっても息と声は分離しているのである。

これらは書いたものや実際の歌唱から私がカルーソーに教えてもらったことだ。それ以前の歌手は胸の共鳴のみで全てを処理しているようだが、タマーニョの録音は悪く、真実の声はどうであったか、解析が難しい。

酒巻 修平

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