偉い人は法律を守り、普通の人は道徳を守る

ここで言う偉い人とは社会的地位の高い人のことである。社会的地位の高い人が必ずしも偉い人ではないが、一応そうしておく。

社会的に高い地位を得るにはそれなりの努力をしているし、持って生まれた頭脳も良いのだろう。

彼らは犯罪に手を汚す確率は低いが人柄を考えるとどうだろうか。社会を律する規範を3種類に分けるとどうなるだろうか。

一番低い規範は法律である。二番目は道徳、最後は宗教の戒律だ。宗教では邪悪なことを考えても戒律に背くことになり、これでは一般の社会生活が送れない。ここでは省く。

残るは道徳と法律だ。電車の車内で老人に席を譲るなどはこの道徳に則った行為だ。税法の抜け穴を探して税金をできるだけ払わない処理をするのは法律違反ではないが、道徳的に見るとそれはおかしい。

トランプやソフトバンクグループは所属する国家に税金をほとんど収めていないがこれは法律違反ではない。法律の方が不備なのだ。

彼らは社会的な地位は高いが偉い人かどうかは異論があるのは間違いない。では普通の人はどうか。日本の税法は国民寄りではなく国家の利益を偏重している。

これでは税金を払う気持ちが減殺されるが普通の人は不満を言いながらも税金を支払っている。

国家が道徳的に国民を欺罔していると言われても仕方がないだろう。騙す人と騙される人。どちらの頭脳が良いかというとそれは騙す人であろう。

こんな考えをすると面白いことが見えてくる。法律的には偉い人は違反が少ないが、道徳的には普通の人の違反が少ない。

では社会は法律で動いているのか、それとも道徳で動いているのか。法律はしっかりと記述されていのが、道徳にはそれがない。

道徳は人の善意に訴えるものだから明文化されていない。すなわち人それぞれの価値観で道徳を守るかどうかを判断することになる。

社会的地位の高い人は公衆の面前では道徳を守るだろう。だがその裏ではどんな手段を講じてでも道徳を守らないように振る舞う。

アメリカのロックフェラーなどの大富豪はアメリカの富の40%を占有しているのにそれを良しとしているのはその表れだ。目に見えるところでは学校を設立するし教会に寄付もするだろう。

だがその裏で悪辣な手段で富を獲得し、それを占有する。自己に利益をもたらす法律を作らせその法律に基づいて富を獲得、何の意味もなく蓄える。

もし彼らが道徳的な考えをするならコロナで傷んだ国家の財政を支援すれば良いと思うのだが、そんな道徳的なことは絶対しない。

考えてみれば時の権力者は自分の考えが法律であり、人を殺戮するし食糧も与えないことも多い。北朝鮮の金なんとかは豚のように太っているが国民は大勢餓死している。

道徳を守ると傍の人はその恩恵に浴する。だが道徳を守らないとそれは大きな被害となって現れる。非難すべきかあるいは当たり前として放置するのか。

警察官僚が自分たちの天下り先を確保するため、駐車監視員制度を作った。これは法律的には非難されないが道徳的には極めて悪辣な行為である。

ではどうしてこんなことが起こるのか。人の性は善か、悪か。社会が進むに従って法律が増え、そして道徳心が低下する。

昔のような暴君は日本にはいないが、頭脳的に暴君的に振る舞う人が多くなった。政治家の多くはそうだろうし、官僚も例外ではない。

学校ではそんなことをもちろん教えない。どのような教育をするかを決めるのは官僚であり一般市民ではないからだ。

我々は道徳に尊さをもう少し考えるべきではないだろうか。どうも社会は複雑なルールで縛られていくように思えて仕方がない。ルールは一種の法律でそれは悪のために使われているのではないだろうか。

酒巻 修平

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