テレビの凋落はいつから始まったか
家で仕事をしていて夕刻になると酒を飲み、時代劇を見て2時間ほど過ごす。時代劇などそれこそ時代遅れだが、何も考えず、筋も追う必要もあまりなく、良い酒の友だ。
今時からは「暴れん坊将軍」、5時からは「必殺仕事人」、6時からは「長七郎江戸日記」6時半からは「水戸黄門」、7時からは曜日によって「御家人斬九郎」、「剣客商売」、「座頭市」、「鬼平犯科帳」とだいたい8時くらいまでは続いている。
「暴れん坊将軍」と「必殺仕事人」は時間が早すぎるので見る機会が少ない。一番好きなのが「御家人斬九郎」だ。若村真由美が美しいし、見ているだけで目の保養になる。
困るのは同じ物を何度も放映することだ。費用を低く抑えられるのか、そんなのが多い。2回くらいまではそれでも筋を忘れているので、見ても良い。だが3度、4度となると流石に嫌になる。
今はテレビ局の予算も少ないだろうから、仕方がないとは思うが、がっかりすること甚だしい。筋を真剣に追うには酒が入っているしやらないが、5度目くらいには勝手に頭が筋を覚えてしまう。
次に困るのは原作者が作ったものではなく、脚本家が原作に照らし合わせて粗製乱造的に作ったものだ。
全く筋が同じで脚本もたいしたことはない。だからセリフが「えっ、こんなことを言うのはおかしいではないか」と思えるようなこともある。
江戸時代の言葉を現代風に直したのは仕方がないが、できれば原語でやってもらいたい。それでも意味は通じると思うのだが、それとも脚本家は原語を知らないのか。
最近なくなったのは車のタイヤの跡と、切られた人物が再度現れて主人公に向かっていくことがなくなったことか。これは良かった。
大体悪漢は高い碌を食んでいる人物だ。ところが庭が狭すぎる。灯篭の位置はおかしいし、その周りに敷石が置いてある構造は造園としてはあり得ない。
これは撮影所の美術掛がやったことだろうが、全員が庭のない家に住んでいるのだろうか。監督は不自然とは感じないのだろうか。
3000石も収入があれば屋敷庭は少なくても300坪程度はあっただろうに、テレビではそれが30坪くらい。興を削がれる。
時代劇では酒を飲むシーンが多いが、どの役者も酒を飲んではいない。せめて盃に水でも入れておけばもう少し臨場感が増すと思われるのだが。
いくら江戸時代と言ってもきっちりとした証拠がないのに犯人に仕立て上がられるのは頂けない。実際は相当その辺は厳しかったと物の本にはある。
主人公は10人以上切るというのは虚構だと誰もが分かって見ているし、庭石がプラスチック製なのはまだ許せる。
だが刀を収める時に一回転させる必要があるだろうか。将軍家の紋が入った着物で現れるくらいまでは許せるがどうもちぐはぐ過ぎる。
これらのドラマは1980年くらいから作られたものだ。そうするともう30年以上前になる。
こんな杜撰な装置や情景描写はひたすら金儲けを考えたテレビ局か制作会社が考えたころだろうが、テレビのソフトの劣化を招いたし、配役にも迷惑が掛かる。
少し長い目で考え、良い物を作る努力をしていなかった。今のテレビの凋落はもうそのころから始まったのだろう。
今でもまだ遅くないかも知れない。金儲けも必要だが、まず良い物を作る努力をしてはどうだろうか。
チェーン店の増加と言い、日本の文化がだんだんなくなってくる。これは我々の要望から来ることだろうか。そうではないだろう。企業は、金儲けばかり考えて株主に高配当を維持しようとしている。
そんなことをすると近い将来そんな企業はなくなってしまうに違いない。品質と利益のバランスをもう少し考えてもらいたい。
酒巻 修平