共産主義、民主主義どちらが良いか

共産主義とはだいたいどんな社会制度かを学習してみよう。ここでは人の所有という行為を許さない。人は能力に応じて働き、公平に取る。

 

そんな大雑把な表現でことは足りるだろう。後は指導者がその主義をどのように運用するかだ。

 

では民主主義とはどのような制度であろうか。これも大雑把な表現では所有を認め、人が指導者を決めそしてその指導者は国民のために働くというものだ。

 

共産主義下において定められた所有を認めないという制度を人は受け入れるのだろうか。あなたに恋人がいたらその人を独占しようと考えるだろう。それが人としての本能であるし、当たり前なことだ。

 

愛車は他人に使わせたくないし、使わせるとしても本当に信頼できる人にだけ許すだろう。大切にするものは何でもそうだ。

 

人は何か大切にする物が欲しいしそれを自分で管理したい。それを許さないのが共産主義である。土地も所有できない。家も駄目だ。

 

管理は国が行うが国のトップがそれを指導する。だからここでは必ず独裁という制度が生れるのは自然である。

 

人は能力に応じて働くという考えは正しい。むしろ当たり前だ。能力がないのにある仕事をすると周りに迷惑を掛ける。

 

だが平等に取るというのはどうだろうか。能力のある人は嫌気が差して、自分の能力の全てを出して働くのを止めるだろう。

 

これを言い出したのはカール・マルクスというきちがいあるいは変人で、自分は親戚の世話になって生活していたグータラ男だ。

 

どうしてそんな人物の言うことを真に受けてレーニンなどは社会制度を変革しようとしたのだろう。

 

国の王というのは富を独占するし国民を自分のために働かせるどうしようもない存在だった。それに嫌気が差したのだろうが、成功し始めると自分たちが王のようになってしまった。

 

それはそうだ共産主義あるいは全段階である社会主義を守るには大きい力が必要だからだ。

 

そして必然的に独裁者が誕生した。だが独裁者というのは社会や国民に不利益だけをもたらすかと言えばそうではないのは少し考えれば分かる。

 

江戸時代の藩主は独裁者であったが善政を敷きその藩にすむ人たちはある程度幸福に過ごしたであろう。まだ経済が発展していなかったので、裕福ではないが少なくても貧しい中では幸福だった。

 

独裁者が人に塗炭の苦しみを与えるのはその独裁者の性格が悪い時だ。国民とうのは衆愚と言える。国の政治などを考える力は一般的にはない。

 

そんな中で人柄が良い独裁者は決定能力があり、それを人のために使う。だが民主主義では国民という衆愚が政治に間接的であっても参加するので、能力のない人に投票する。あるいは能力があるかどうかも分からない。

 

一方独裁者で性格が良い人はまずいない。中国は独裁主義で資本主義を取っている国だ。ロシアもそうだ。だが習近平やプーチンの性格は悪い。国民は幸せではないだろう。

 

だから能力のある人物は自分で自分の幸せを得ようと努力し、成功する。ここでの幸せとは金である。

 

共産主義を標榜している国で豊かな国はない。中国、ロシア、ベトナム、ミャンマー、キューバ。すべて貧乏だ。中国は国としては富をある程度持っているが、それは人口が多いからに過ぎない。

 

ロシアはあんなに天然資源が多いのに、貧乏な国だ。それはプーチンの性格が悪いからで、国民が無能というわけではない。

 

キューバのカストロは性格の良い、優しい独裁者だが、キューバがやはり貧乏国だ。どうしてそれが分からないのか。多分分かりたくないのだ。独裁者はそんなことを国民に教えたくない。

 

さて民主主義。民主主義など実は存在しない。もし一部でも民主主義があったらここでも大きな問題が発生しているだろう。

 

ものを考える力がない人にもものを考えさせ、選挙という形で指導者(実は指導などできないし、必要ない)を選ぶ。選ばれた人は考えない人たちに選ばれるから必ずしも能力が高いとは思えないのだ。

 

そして官僚たちは独裁者だ。日本の省を考察すれば良く分かる。日本でも売上税でしかない消費税というものを作った。財務省がやったことだが、これはほとんどまやかしの制度で、税金の上に税金を掛けるなどとんでもないことをする。

 

そして定年後は天下りをしてそれを繰り返す。独裁者がやりそうなことだ。その制度は消滅しない。だから日本は完全な民主主義国家とは言えだろう。

 

明治維新で活躍した性格の悪い元勲と称する人物たちが官僚制度を創設あるいは維持したので、いまだに悪しき官僚制度が存続する。

 

しかし戦前はまだ良かった。人柄の優れた官僚が数多くいて、善政を敷く努力をした。だがアメリカに敗戦してから日本人の気宇は小さくなった。そしてその小さな心で政治を行う。

 

顔が良いだけで能力がない何とか進次郎が国会議員にえらばれる。無理だろう。国民は不幸になりたいのだろうか。

 

そうは言うが民主主義という今の制度に代わる良い制度はまだ思い付かない。能力のある人も一票、半分アルツハイマーになっている人も一票。これでは共産主義ではないか。能力がない人もある人も平等に権利を有する。能力のある人は馬鹿らしいと思わないのだろうか。

 

それでも民主主義の方が共産主義より少しはましだろう。

 

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です