考える技術

あまり手洗い嗽を子供にさせるとひ弱な身体になる。そんなことが言われ、どうも事実でもあるようだ。

これは噂というか医師の発言なのか、真偽のほどは定かではない。ではそれが真実かどうかあるいは真実に近いかどうどうしたら分かるかを考える。

人の体は例えばスポーツを熱心にやれば心臓は大きくなり肺の機能は向上する。これは経験している人も多いだろう。真実だ。

それを類推して人の体のことを考える。人の体は使われ方により変化するのではないだろうか。スポーツによって足の筋肉も強化されるし、本を良く読む人の読書速度も速くなる。

使われた機能が強化されるのは人の体がそのようにできているからだ。もうお分かりかもしれない。外出で汚れた手には黴菌が付いているだろうし、口内には風邪の菌が入り込んでいると考えられる。

それを手洗いや嗽で除去することはできる。だが呼吸で肺に侵入した菌の除去は難しい。気管には粘膜があるだろうし、そこに菌が付着すると除去することは物理的には不可能だ。

菌を除去するには免疫機構に働いてもらうのが必要だろう。だとするとこの免疫機構を強化すれば良いではないか。どうすれば良いか。

上記のように免疫機構は使うと強化される。手洗い嗽をしないと免疫機構は体に入り込んだ菌を除去するために働く。

それが度重なると免疫機構はその状態に合わせて強化されるだろう。だが菌が強力だったり数が多すぎると免疫機構に全てを除去する能力がない。

免疫機構の強さは人によって違う。だがその能力を増すためには訓練が必要だ。だから手洗い嗽が過ぎると人の体は無菌状態になり、免疫機構が働く出番はない。

手洗い嗽をしないと免疫機能が強化されるなら、風邪も引き難くなる。この考えが正しいかどうか回りを観察すると分かるだろう。多分正しい。

最近の大学の入学試験は記憶の多さを問うものが多い。だとすると入試に合格するには記憶力を強化すれば良い。そうするとシナプスという脳の組織が増加して記憶力を司る部分が強化される。

脳の使い方には記憶以外に思考というものがある。記憶力を強化するとこの思考が等閑になり、その部分のシナプスは減少するだろう。

どんなに良い大学を卒業しても社会では通用しないのはこの記憶力と思考力の違いから来ている。これは観察していれば一目瞭然だ。

大学も企業である。利益を得なければ潰れてしまう。その経営の中で入学試験の受験料は大きな収入だ。

コストをできるだけ下げて収益を図ることは企業に求められる大きな要素だ。試験を採点するにはコストが掛かる。それを軽減するにはどうしたら良いのか。

ここでコンピューターが登場する。コンピューターに採点させればコストは極めて低い。だから大学の入学試験では〇×や択一問題が多い。

これが記憶能力を高める原動力にある。受験者は只管記憶量の増加を図るだろう。社会ではもちろん記憶しなければ仕事はできなが、それだけでは不十分だ。思考力が高い人は仕事ができる。そんな論理が成り立つのではないか。

思考とは頭に記憶された情報、データを分析し、組立、推論することだ。思考のベースには脳に取り入れられた情報を活用しなければならない。

必要最小限の記憶とそれを活用する思考が仕事の効率を高めるだろう。だが思考には時間が必要だ。だが記憶を使用するには脳の保存された情報を取り出すだけで良い。

大企業では仕事の効率化を考え、できるだけシステム化を図っている。社員はそのシステムに基づいて仕事をすれば良いのだ。

ここではシステムを記憶し活用することが求められる。思考が活用される余地は少ない。だが中小企業は経費の関係上そんなシステム化は最小限に留められる。

大企業と中小企業ではこのように働き方が違うのだ。中小企業の経営者はこんな点を踏まえ、大企業に長く働いた人を採用すべきではない。

例を挙げて思考の必要性を述べたがそれ以外にも多くの思考力向上の方法があるだろう。どんな方法でも良いので思考力を高めなければこれからの社会で高い収入と地位を得ることができないと考える。これも思考の結果だ。

酒巻 修平

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