考えるのをやめたい
そんなことを願っている若者がかなりいるらしい。しかしこれを額面的に捉えてはならないだろう。
考えてしまうと将来に不安があるので、精神がまいってしまうというのかもしれない。もしそうなら日本の国自体の行末がそれこそ不安だ。
東大生が人生相談に訪れる。彼らは日本で最優秀だとされる大学を卒業するのだが、卒業後就職するのが怖い。仕事に自信がないのだ。
学力では自信があってもその学力は社会では通用しない。それは当たり前だ。今まで問に答えるテストばかりを受け、通りくぐってきたが、社会はそんなテストをしない。
他社のある担当者に電話を取ろうとする。だがその担当者は連絡はとても取り難い。ではどうしたら連絡が取れるのか。
こんな設問を学校では教えない。だがこれは会社においてはとても重要な課題である。その担当者は商品を間違って仕入れしてしまい、その処理が正当にはできない。
問題が簡単すぎるが、解決は難しい。だが社会に出ている人には簡単に解決できる問題である。それを東大生は解決できないと思うだろう。
回答の一つは一日に10回くらい電話をすることだろう。代わりに電話を受けた人がその担当者に苦情を言い、担当者はやむを得ず、電話に出るという訳だ。
国力を考えてみよう。それは多分一人の能力x人口として求められるであろう。日本の人口は約1億2000万人くらいだが中国は14億に達する見込みだという。
一人の能力が同レベルだとすると中国の国力は日本の10倍以上あることになる。だがそうでないことは誰でも知っている。
日本人一人の能力が中国人に比較して圧倒的に高いからだ。その日本人の能力がだんだん低くなっている。その能力の中にはやる気や誠実さなどという要素が入り込む。
それはそうだ。大学の入学試験は主として記憶の多さを問うもので、考えるという一番大切な脳の使い方を無視する。
だれでもが今は言う。自分の子供は良いが、孫はもしかすると餓死するかも知れないと。確かに日本の社会保障は高い。だがそれは人が万一の時に生きていけるレベルにはない。
若い人の脳は変化しつつある。それが何によるものか知らないが、全く勉強をしない生徒、学生の割合がとても高い。
東大に入るくらいの学力のある人はそうではないだろうが、これら勉強を全くしない人の活用を社会は考えなければ日本は沈没してしまうだろう。
学校では考えても良い成績が取れない。だから学校は面白くないだろう。だがこれは勉強をしない理由ではない。
そもそも勉強をするという観念がないのだ。だから頭が良くても大学に行けるかどうかの瀬戸際に立たされる。
そうすると就職もままならない。将来が不安である。就職先があっても上記の東大生のように仕事に自信が持てないということも起こるだろう。
これからは考える能力のある一部の人が社会で貢献して高い収入を得、考えない人はその他大勢として社会の底辺に蠢くとう自体が生じることも予想される。
そんな社会を誰が作ったのか、作ろうとしているのか。記憶が思考を上回るのを学校は要求し、社会はそれを拒否する。
だから考えるのを止めたいとなる可能性が現れる。将来に不安があるから考えたくないのか、学校では考える習慣が身に付かなかったのか、原因は定かではないが、若い人の考えることを止めたいというのは今後の日本に大きく暗い影を落とす。
行政に能力があるなら、人がどうすれば能力をその人なりに発揮できるのかを真剣に考えなければならないだろう。
もし行政にそんな能力がないなら、何とかして民間でそんな社会の現出を図らなければならない。
学歴など履歴書に書かない制度も良いだろう。何故なら学校の勉強は社会では役に立たないからだ。
コロナが原因ではないが、今世界は曲がり角にきている。それは多分コンピューターの普及によるものであろうが、
菅次期総理大臣がデジタル庁を創設するとしているので、それに期待したい。そこにはコンピューターは単なる機械として扱い、人間第一とする思想が含まれなければならない。
酒巻 修平