オリンピックマラソン男女最終選考レース
先週と今週の日曜日にオリンピックのマラソンの出場者を選考する最後のレースが行われた。一般の参加がないレースで見ている方に取っては却って見ごたえがあった。
先週男子は大迫傑が日本新記録を出したし、今週、女子も一山麻緒が2時間20分台の好成績で優勝を飾り、両者がオリンピックの出場権を獲得した。
女子の方はこのところ伸び悩んでいたマラソン界だったが、一山は今後日本新記録を狙える選手として名乗りを上げた。
男女とも低迷していたマラソン界に新風を吹き込み見ている方でもわくわくする。言っては申し訳ないが、増田明美氏が解説者としてテレビに姿を現さなかったのも私に取っては煩わしくなかった。
彼女はマラソンや走法の解説をせず、選手をまるで芸能人のように見て、交友や家族関係など、マラソンそのものとはあまり関係のないことばかり良い、言ってみればマラソン選手解説者であった。マラソンを純粋に解説する高橋尚子と発言権を取り合うような場面は頂けなかった。
大迫も一山のオリンピックのマラソン選手としては平均的には一番早いと思える。MGCで選ばれた男女人ずつの選手より平均的には上のようだ。
一山は子供のころからかけっこなどをしていたというから、小さいうちからマラソンを走る素地ができていたのだろう。
だがオリンピックでメダルを取るのは今のままでは難しい。アフリカ系の選手は体の出来が違うのか、スピード、持久力とも抜きんでている。特にケニアとエチオピアの選手は強い。
それはフォームが違うことから来るようだ。体の重心である背中から力を伝えていく走法は日本選手が主に下半身に重点を置く走法と比較してスピードと持久力が格段に違う。たとえ5%効率が良いとしても42kmでは6分の差になって現れる。
大迫選手のランニングフォームは美しい。だがアフリカの選手に比べると早さ、持久力に劣るだろう。
だが日本人はアフリカ人のように走れるかというと疑問がある。もともと持っている筋肉の強さも違うし、筋肉の付き方も多少違うかも知れない。
だが生まれて間もないころから歩いたり走って用を足したり、学校に行ったりして自然に訓練している人はそれだけ体が出来上がっているとも言える。
ピアノでもプロになろうとする人は歳ころから練習をしなければならないと言われていることでもこのことは分かる。
フィギャースケートのように審判の匙加減で成績が変化するスポーツと違い、走り系のスポーツは勝ち負けがはっきりとしている。
審判の不正な判定はないし、天候も全選手に平等だ。韓国で行われたバドミントンの試合で韓国の選手が有利になるように風を韓国選手側から吹かすということもない。
それにしても瀬古氏は良くやった。MGCというシステムを導入して選手の大会に対する心構えを大きく変化させてことは賞賛に値する。
どのスポーツでも同じだが、成績は精神力の在り方で大きく変わることがこれでまた明らかになった。
選手はこれからメンタルトレーニングをもっとやらなければならないだろう。そんなことをしなくても強い選手はいるだろうが、メンタルな面は大切なトレーニング項目の一つだ。
私は新型肺炎の蔓延に関わらずオリンピックは開催されると考えている。だが走り系の試合で日本人の個人の優勝はほぼ無理だろう。
その中で、唯一マラソンは有望だ。一山はまだ伸びるだろうし、高橋尚子や野口みずき選手のようにオリンピックで優勝することも夢ではなさそうだ。
男子で日本人一位になった作田直也はフォームを見る限り有望である。寒い雨の中でのダイナミックな走りには感動した。
それにしても大会の運営責任者のだらしなさはどうしたことだろうか。ランニングウエアに着替えた選手がスタートのピストルの不具合で、10分以上も寒い中待たされた。新聞にはこの報道がなかったが、猛省してもらいたい。
酒巻 修平