人類社会の将来がどうなる 発展する

 人が今のホモ・サピエンス・サピエンスになってから生存を保つためにあらゆる努力をしてきた。

 肉食動物との戦いもあり、洞窟の使用を巡って他の動物とも争ってきた。人は頭脳が他の動物とは比べものにならないくらい発達しているので、他の動物との戦いには必ず勝利した。

 だが天変地変を防御する手段を持たなかったので、そんなことがやってこないように神に祈った。

 だが天や地や海は人智を超えるほどの威力を発揮して人に襲い掛かり、人に大きな災害をもたらした。

 反対に極く微小な細菌に対しても無力であった時代も長い。最近こそ細菌を封じ込める方法を幾分発明して効果を上げているが完全ではない。

 人の大きな長所であり、弱点は頭脳の大きさ優秀さである。人は体に関する本能を達成すれば満足するということはなく、脳も満足させたい欲望を膨らませた。

 人は食べて、低温から身を守り、寝る場所の確保、所謂衣食住を得るだけでは満足することはない。それ以外に頭を使うことも欲し、遊びを考案してきた。

 遊びというのはただ遊びではなく、特別な食事を摂る、大きな屋敷に住む、美麗な衣服を身にまとう、ゲームをする、旅行に出かける、造園をする、映画を作る、見る、本を編集する、芸術に勤しむ、その他極めて多くの遊びを人は考え実行してきた。

 そんな文化ともいうべき社会状況を作ってきた人も、その間やはり天災には煩わされ、微生物に健康を害され死亡した。

 人同士の殺し合いもあった。戦争だけではなく、テロリズム、魔女裁判、謂れなき殺人。そんなことも多々あった。

 天然痘、ペスト、コレラ、インフルエンザ、エイズ、それらも人を苦しめてきたが何とか人は絶滅せず、遺伝子を残し、現在の社会がある。

 ただ食べて、着て、寝るというだけでは現在人は全く満足しなくなっている。そして産業革命以降、機械など人の生活に利する物質を作り続けた。

 だが発明はコンピューターを最後に大きなものはなくなった。ノーベル賞も最近は偉大というよりは優秀レベルの発明に対して与えられるようにレベルダウンしている。

 人は一層の遊びを求めているが、それは叶うのだろうか。遊びにはお金が掛かる。だが車も世界中に行き渡ればもう買い替え需要しかない。

 人は同じ種類の物を買い続けるということはしない。もった便利なもの、新しいものを求めているが、もうたいした発明は途絶えた。さて社会はどこへ行くのだろうか。お金は遊びをするだけあるのだろうか。

 今の生活より少しは良い生活はできるかも知れない。だがそれはいつまで続くのであろうか。

 先進国の成長率は3%以下だ。アメリカが唯一と言って良いほどの先進国であった時、世界はこれから発展すると誰もが考えていた。

 だがアメリカの成長率が下がり、下請け国が日本、韓国、中国と移っていった現在、本当の意味の先進国となった日本を除いて韓国や中国は何処へいくのだろうか。

 もちろん裕福な人はどこの国、いつの時代にもいたが、それは一般の人たちとは違う。一般の人は何を目指して努力をするのだろうか。そしてそれは成果の上がることだろうか。

 これから中南米やアフリカの人が全て車を保有したら、車のメーカーはどのように発展していけば良いのか。車だけではない。家電はもう世界のほぼ全ての家庭に行き渡った。

 そしてその現象は全ての物品に及んでいくだろう。そうなった時の社会情勢はどうなっているのか。

 グローバリズムの進展により価格競争は激しくなり、企業の業績は悪化するだろう。成長しない経済。生きていくだけで満足しなければならない社会が到来すると人はどのように行動するのだろうか。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です