飛び入学 3人合格

 今日の新聞によるとこの主人公は数学と物理が抜群にできて高校2年生からいきなり千葉大学に入学したという。

 その後大学を卒業してある企業に研究者として就職。だが給料は手取り15万円。結婚して子供もいたのでアルバイトを掛け持ちして何とか生活していたが、とうとう研究者としての職業を断念。

 新しい職業がトレーラーの運転手。車の運転は好きだったようだし、職業には貴賤はないが、やはり不本意だっただろう。

 この記事からは様々な社会の状況が読み取れる。まずこの人が大学を卒業した人の給料は手取り15万円くらいが平均ではないかということ。

 入社後給料も徐々に上がったと思えるのだが、それはなかったのだろうか。私が大学を卒業した昭和39年の平均初任給は2万4,5千円だったと記憶する。

 もっとも気になるのが次の点だ。結果が1,2年で出ないような研究には資金はなかなか回ってこない。これは日本ばかりではなくアメリカでも研究者はこの点を憂いる。

 お金が全てに優先する社会に我々は生きている。これを何とかしないと却ってお金を儲けることができない。

 我々が若いころ噂ではデュポンという会社は研究者に好きな研究をいつまでもやらせ、その中から開発された良い物を商品化して売り出すとのことだった。

 今も同社はそんなことをやっているかどうかは知らないが、当時は素晴らしい商品を次々と発表していた。

 IBMでは会社の至るところに「THINK」と書かれ、新しい物事を考える気風が同社では養われていた。

 時は移ってコンピューター時代になり、求められることは創造ではなく、技術開発になった。

 だから今や創造という概念は廃れ、コンピューターを駆使する技術が求められ、考えるより覚えることが社会の基本になった。

 私もコンピューターのプログラムくらいは構築できるが、次々に出現するコンピューターの使用法に付いていくことはできない。

 一つには記憶力を頼りに仕事をするのが嫌いなことがある。通常の常識では操作ができないようなシステムがどこにでも使われていて、いつもコンピューターと向かい合って新しい技術を習得しなければこの風潮には付いていけない。私には時間の無駄のように思う。

 コンピューターの使用技術は結局何ももたらさない。一つの仕事を極めてスピーディーにそして正確に行うだけで、それが故に利益率は低下する。これではコンピューターを駆使できる人以外に金は回ってこない。

 この主人公が関わったもう一つの点は大学入学試験制度だ。この人は高校2年まで受験勉強をしただろう。故意にやらなくても今の学校の勉強のあり方は大学の入学試験を目指してのものだ。

 幸いそれがおかしいと考えるこの千葉大学のような例が他にも出てきているが、いまだ学校の勉強の基本は大学入学試験を見据えてのものだ。

 一番頭が柔軟で能力が開発される小学校から高等学校まで不毛な勉強に明け暮れる。できるだけ多くのことを記憶することを良しとするような学校の勉強はおかしい。

 この点教科書を認定する文部省は日本100年の計を考えているとは思えない。東京大学を卒業した人とも話す機会が多いが、彼らの情報量は多いが、考える力を持っている人はほとんどいない。

 この人たちの頭脳の素質は高かったと思える。それが記憶するということに力点が置かれ過ぎ、思考や創造力は失われたのではないか。

 更にこの主人公は残念ながら天才やそれに近い頭脳の持ち主ではなかったのだろう。やはり秀才の域を出ないと思われる。もしかしたら記憶を重視した学校の勉強がこの人の思考力と創造力を奪ってしまったのかも知れない。

 3歳のころから思考、創造をする訓練をし、学校でもその点を重視した勉強を行えば日本からも世界からも天才は現れ、社会がもっともっと発展すると信じる。

酒巻 修平

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