英雄医学

 現在の正統とされる医学の前には英雄医学というのが、欧米では主流であった。日本や中国、韓国では漢方という医学で病気の治療がされていたので、欧米は遅れていたのだ。

 英雄医学の考え方は病気の原因が血液にあるとされ、血液を体内より抜くことによる治療が中世から18世紀末くらいまで盛んに施されていた。

 だが今考えるととても乱暴で瀉血だけで病気が治るとはとても思えない。人の体の制御機構は極めて精巧かつ複雑で、血液を抜いたからといって病気が治るほど単純ではない。

 逆にこの治療により大勢の人が血液を抜かれ過ぎ亡くなっている。アメリカ初代の大統領のジョージ・ワシントンやモーツァルトはその犠牲者で死因は失血死だ。

 それを反省したのか欧米では漢方の考えも取り入れ更に改良して今の正統医学が確立していった。

 だが漢方は長年とは言え経験や実例を元に薬を以て病気の治療を促すもので、病気そのものの由来あるいは原因は未解明のままのことが多い。

 正統医学ではそれに加えて外科的、後に病原菌の発見などによりその駆除も病気治療の方法が付加された。

 とは言うものの病気の原因のほとんどは解明されておらず、従って現在の正統医学は症状の消滅あるいは軽快を目的としたものに過ぎない。

 それは漢方の手法である薬に頼る治療が根底にあったのであろう。英雄医学における血液が病気の元であるという考えはその障害が過度に怖れられ、完全に捨てられた。

 だが血液が体内のあらゆる箇所を巡り栄養素を供給することから考えると血液が病気の原因であることも考慮しても良いのではないだろうか。

 現に白血球は新しく作られた血液の成分が新陳代謝の何等かのミスでアポトーシスしない状態になって増殖するものだ。もちろん現在の医学はその原因を探ろうとしているが、いまだに未解明のままだ。

 最近は薬によらない治療法も種々考えられてきたが、血液を処理する療法もあっては良いのではないだろうか。

 血液は体に酸素や栄養を運ぶという役目を担い、なくてはならない重要な体内物質だ。もし血液に悪性物質が何等かの原因で混入すると病気になるのは必定だろう。

 日本でも肩こりを治すため蛭に血液を吸わせ治療したし、皮下の膿を吸い出す療法も行われた。ただ病気の原因がどこにあるのか、ただ単に血液だと断定してこの瀉血療法が取られた。だから瀉血で病気が治ると根拠はなく、今の正統医学に取って変わられた。

 ただ現在医学でも多血症やヘマクロマトーシスやC型肝炎では瀉血は行われているし、腎透析は血液の浄化を図る療法だ。確かに体液が体の病気を引き起こす原因になることは否定できず、今後は血液が病気の時どのような状態になるかの研究を突き詰めるべきだろう。

 今の血液検査では病気の部位の決定が主な目的であるが、血液そのものが病因であることも考えなければならないだろう。

 瀉血はギリシャに始まって18年代の後半まで続いた。ということは瀉血による病気の治療には効果があったのではないかと推測される。人はそれほど馬鹿でない。単なる迷信でそんなに長く無為な療法を施したはずがなく、何等かの効果はあったと推測するのに充分である。

 臓器は種々の体液に囲まれ、浮き、作用をこなしている。新陳代謝はそんな状況の中で行われているのであれば、血液を含む体液、例えばリンパ液、その他の状態の悪化も病気の直接、間接の原因になるかも知れない。

 例えばウイルスが肺に入ってきても気管や気管支は湿潤すなわち液体が付着している状態であるので、簡単には細胞内に付着して悪いさをしない。

 だがこの湿潤な液がウイルスを簡単に通してしまうような状態になっていれば発病するのではないか。そうでなければウイルスが体内に一度侵入しても再び体外へ放出される可能性も高い。

 これが微生物を寄せ付けない真の原因とは言い切れないが、医学はもう少し体液の研究をするべきではないだろうか。

酒巻 修平

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