無駄と贅沢の違い

 どちらもお金や時間を普段より余計に使うことである。だがその効用は天と地ほど違う。

 無駄は何物をも生み出さないし、精神が健全ではいられない。贅沢は多少多くのお金を使うが豊穣な精神を生み出し、周りの人をも幸せな気持ちにする。

 買ってきた食料品を腐らすのは完全な無駄であるし、高級なワインはほんのりとして酔い心地があなたを夢の世界へ連れていくだろう。

 無駄にしてしまった食料品の価格が900円だとするといつものワインより900円高いワインを買った時の幸せな気持ち。買った瞬間からそのワインには豊な香りがするようだ。

 電車に乗るのにパスモとかいうものを使ってはいけない。回数券より9%くらい高いし、通常の切符と同等の金額を前払いしなければならない。

 改札を通るのに面倒がないというもののチャージをして前払いするのと回数券を買う手間も同様だ。チャージとか英語の単語を使っているが、日本語で言えば先払いに過ぎない。それに500円を領収されてしまう。

 500円は止める時には返してくれるというが、元気なうちは絶対に止めないし、もしあなたが重病に罹ってもパスモを解約する人は極少ない。

 最近は騙しが多い。このパスモのシステムを考えた人は騙しの天才だ。500円もただ取りし、割引もないのに前払いさせる。これが無駄の最たるものだ。我々はもう少し賢くならなければならない。

 お金は誰もが大切な財産であるので、無駄と分かっていることはやらないだろう。だが時間はどうか。時間を無駄に使うことを止めて有効に使おうとしている人は少なかろう。

 時間の一番の無駄使いは受験勉強にとどめを刺す。一番頭が柔らかくて体も元気な盛りにただ記憶する多さを競い合うような勉強と称する無駄な時間を使わせる今の制度はいかなるものだろうか。

 東京大学や京都大学を卒業すればまず一生食いはぐれはない。だが彼らが思慮深くて、仕事ができるかどうかは全く別の問題だ。

 それは一生を安楽に過ごせるための準備であるだけだ。昔の東京大学と違い今の卒業生は記憶していることは多いが思考力は却って高等学校卒業の人より劣るように思えてならない。

 だがそれが人生の目的ならまだ良いだろう。しかし勉強ではなく、人生安穏生活クラブへ入るための準備に過ぎない。

 さてあなたの家から駅に歩く時、何をするだろうか。ただできるだけ早く歩いて目的の駅に付くことだけを考えているのではないだろうか。

 でもその間の時間をもう少し有効に使えないだろうか。少しゆっくりと歩いて今日やる仕事の手順を考えるとか、もっと良い策があるのではないかと頭を捻ることを考えればどうだろうか。

 ソクラテスは弟子と一緒に歩き、全員で考えを披露しながら思索の道を辿った。だから彼らは逍遥学派と呼ばれる。不思議にゆっくりと歩くと頭が回るのだ。逍遥とは歩くことだ。

 ハワイなどに行くとツアーに出かけるのも良いだろう。だが休みの時間を浜辺でぼんやりと寝転がっているのも悪くない。無為の時間かも知れないが贅沢であるという捉え方もあるだろう。

落語などを聞くと話しと話しの間に少々の時間を取る。これを「間」というらしいのだが、これがあることにより話しが面白くすっきりと頭に入ってくる。

時間はどうだろうか。裕福な人が100坪の土地に家を建てるとする。ある人は大きな家を敷地一杯に立てるだろうし、ある人は庭を設営するか空間のままで置いておく。

 だが庭であれ、何であれ、そういう一見無駄と思える無為の空間を持つことは無駄ではない。空間を持つという贅沢をしているのではないかと思えるのだ。

 室内もできるだけ空間を取ることにより精神に安らぎが生れる。それは贅沢であろうが、意味があることだ。

 今の窓は全て四方形だ。だが時代劇を見ていると丸窓なども沢山あり、窓の桟も直線ではない。これなども効率から考えると無駄だろうが、造形的には贅沢だ。

 本を買うのにはお金が掛かる。本を読んでもあまり役に立たないことが多い。だがそれは時間とお金の両方を使ったひと時の贅沢ではないだろうか。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

経験遺産

次の記事

新しい病気の兆候