人を信用しない世の中

 先日さるメガバンクへ赴き、出金を依頼した。その前に払戻請求書を用意してそれを持参して窓口へ渡した。

 するとすぐ呼び止められ、口座番号と銀行の支店番号が記入していないので、自書で書き入れて欲しいと言われた。

 私は預金通帳を持っていたので、口座番号と支店番号を書き入れようとしたが、誤って口座番号の一つの数字を書き違えてしまった。

 仕方なくそこを二重線で消し、正しい口座番号を書き入れた。ところがそこに訂正印を欲しいと要求されたが、銀行印は持ち出し禁止にしてある。

 もちろんその時も持っていなかったので、何とかならないかと窓口の女性に尋ねると、訂正印がないと絶対に駄目だとの返事を受けて、その日の用事は済まなかった。

 私のミスではあるが、私は通帳と捺印済の払戻請求書を持っている。口座番号はその通帳を見ながら書いたので、その程度の融通は聞いて良いはずだ。

 それを頑として受け入れない。ほんの単なるミスで訂正するだけで済むのに細かい形式が整っていないというだけの理由で目的が達せられないのだ。

 その時、私は思った。そうだこれが現在社会なのだと。すなわち基本的には人を信用しないということで社会が回っている。

 いつからこうなったか、我々が若い時にはそんなことはなかった。これは老人の戯言ではなく、社会が非効率的、コンピューター的になっている一つの例だ。

 その預金の正統な引き出し権者であると判明すれば、些細な訂正など受け付ければ良いと思う。

 これは単なるその銀行内のルールだ。阪神淡路大震災の時、郵便局は全ての必要物を失くした老人に顔パスで預金を10万円まで渡してあげた。

 その郵便局は小泉内閣が壊し、預金の多くをアメリカに差し出した。だから今同じ様な災害が発生すると、郵便局は同じ親切をしてくれるかどうか不明だ。

 ホテルは前以て必要な全額をカードで前払いのようなことをしなければならない。アメリカではカードがなければまともなホテルには宿泊できない。

 そのように人を信用できない悪制度を日本も取り入れたのか。外国人にはとにかく、日本人を信用してホテル代、飲食費を後払いにはできないのか。

 それでも支払もせず逃げてしまう人はいるだろう。だがその数はまともなホテルなら極めて少ないと思われる。

 その分を損金で処理してもあるいは売り上げを立てられないとしても、額は微々たるもののはずだ。

 あるいはカード番号を聞いておくとか、免許証を見せてもらうか、本人の確認はどうとでもできる。

 それにそんなことをしなくても支払いをしないで逃げてしまう人は少ない。すなわち人を信用できないのだ。

 若いころ一度ホテルのフロントに聞いたことがある。「全額後払いで良いのですか」と。するとその人は「私共ではそんな礼儀のないことは致しておりません」と答えた。

 そうなのだ。人を信用しないということは誠実な人としての礼儀がなっていないということなのだ。警察など特殊なところは別として日本人は基本的に支払いをする。

 もちろんずるい人も大勢いる。会社のお金を横領する人、都のお金を些細な私用に使う人。だがその人たちも支払いはするだろう。

 要は信用の度合いなのだ。信用をする度合いをできるだけ上げていくことが社会全体に要請されているのだ。そうでないと将来はもっと生き難い社会が現出するのは間違いない。

 アメリカでは高級なレストランではホテルと同様カードで前払いするシステムを導入するところが増えている。

 こんなことは社会を悪くする行為だ。アメリカ人の大半は嘘を付かない。日本人は嘘を多用する。そのアメリカの良いところを真似しないで悪いところばかり導入する。

 10年後の社会がもっと住み易い社会になっていることを願うが、私の願いは空しいかも知れない。

酒巻 修平

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