ル-ル社会での賢い生き方

誰かに大変なことをやらせるのに各国それぞれ焚きつける方法は違うのはよく言われることだ。

アメリカ人には英雄になれるぞ、ドイツ人にはそれはルールだから、そして日本人には誰もがやっていることだからと言うらしい。

これらは比喩だから実際にそんなことは言わないだろうが、それぞれの国の気風がよく表れていて面白い。

そこで日本社会の現状を見てみよう。確かに下らないことでも誰もがやっていることは踏襲される。例えばいつから流行ったか知らないが、エスカレーターでは右の方を空けておいて急ぐ人の便を優先する。

そんなことをするとエスカレーターの調整の頻度が高まるし危険なことなので、電鉄会社などは何とか辞めてもらいたいと思っている。それとなく壁に禁止要請を示すが、効果は薄い。

秋になって神社の祭りに寄付をする習慣がある。誰もが2000円くらい寄付をすると周りの人もそれに習う。寄付はそれぞれの人の好意によるものだから一定のルールなどないが、誰かがあるいは習慣的にそんな金額を寄付することが習わしになる。

これはルールだ。ルールと言えば法律。法律違反をすると犯行になり訴訟の対象にもなる。だがこのルールはあるべきルールでこれがなければ社会秩序が保てない。

しかしエスカレーターでのマナーと称するルールなどは馬鹿馬鹿しいことで今すぐにも廃止したい。だがそんな提案をするとルール違反として非難されそうだ。

税に関しても厳格なルールがあり、それから逸脱すると脱税として扱われるが、とても奇妙なものや行政の利己的なルールがあり、納税者はとても不便を託つ。

そんなルールはどのようにしてできたのだろうか。人は常識として当たり前なルールに従うが、奇妙なものや利己的なルールには従いたくない。

コンピューターが普及するようになってからルールが増えた。コンピューターはルール通りに使用しないと的確に作動しない。

コンピューターには考える能力がないからだ。ルールとは考えることを停止させ画一的な方式しか許さない側面があり、社会を不便にすることも多い。

交通規則、銀行の要請、スマホの使用、法事、テレビ視聴、学校などなど便利な側面もあるが、迷惑この上ないルールも多い。

交通規制は守らなければ危険な行為になるが、駐車違反などは運転者に面倒を掛けるだけで、国家に収入をもたらすためにある。環境も整備しないで駐車違反だとして最近は交通官僚の天下り先の確保のために設置された駐車監視員(いわゆる緑虫のおっさんたち)制度はその最たるものだろう。

銀行ではATMという機械を設置し、人件費の削減に役立たせる。老人たちは使用方法が分からず戸惑うだろう。

スマホは便利な通信手段だが、使用方法が不明確で覚えないと使用できない。考えただけでは駄目だ。

法事は坊主どもが自己の利益のために創設した制度である。ニューヨークの宝石商が編み出した誕生石と同じ土俵の上にある。何で3回忌なの、13回忌とは何ぞや。釈迦はそんなルールを作らなかったので、それらは坊主どもがでっちあげたルールだ。

我々はそんなルールに則って生活するように要請されていて、ルールをちょっとでも逸脱するととばっちりがやってくる。

ルールには欠点がある。厳密かつ非常識なルールには抜け穴が必ずあるものだ。ソフトバンクグループは日本に税金を支払っていないか、極めて少額を収めているだけだ。

それは外国にある企業からの配当金には課税されるルールがないからだ。そのうち課税されるルールが新設されるだろうが、またどこか抜け道が発生するだろう。

そうだ。ルールには必ず抜け道がある。それを探せば馬鹿らしいルールに迷惑を掛けられることはない。

駐車違反から身体障碍者は免除される。だから身体障碍者の家族は駐車違反を取られない。身体障碍者が乗っていなくても警察が発給するステッカーを貼っておけば良い。

馬鹿高い消費税を隠すために政府は商品に税込み金額を書くよう要請する。これは要請だけで、義務ではないし、罰則は存在しない。だから商品代金を安く思わせるために商店は税抜き価格を表示する。

勇気さえあればルールの抜け道を探し、不便や損害から逃れることができる。だが子羊のような日本国民はルールを破ろうとはしない。

正しいルールは守り、利己的あるいは不便なルールは抜け道を探してできるだけ守らないようにするのが賢い生き方だと主張すれば私は非国民扱いされるだろうか。

酒巻 修平

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