総括 安倍政権

昨日だかの新聞に上記のような記事が一面に掲載された。中身には興味がなかったし、こんな場で書くことはないので、詳しく考察しなかったが、メディアの在り方についてはまたまた疑問が浮かび上がった。

メディアには憲法に保障された言論の自由に基づく報道の自由がある。メディアはそれに基づいて報道しそれを生業にしている。

我々は金を払い新聞を購読しているし、テレビでは見たくもないコマーシャルを強制的に見させられる。だから義務を果たしている。

社会のありかたには色々な論があるが、契約社会だという論にも頷けるところはあるだろう。

それは国民と政府、或いは日常の社会においては全てのことは契約的に成り立っているという論である。

もちろん全てのことに契約が成立しているのではないが、契約は権利と義務と置き換えると良く分かる。物を買えば支払いをする義務が発生する。

電車に乗るという権利を得るには切符を買うか前以てパスモなどを通じて支払いをする義務が発生する。

身障者は人の補助を受ける権利があるが、感謝をする義務がある。中には権利を伴わない行為があるがそれはその行為をする人の誠意の現れだ。

屁理屈のように聞こえるが誠意をいつも示す人の顔は上品になるし、逆の場合は醜い表情が顔に現れる。

それは権利と義務ではないが、誠意という義務を遂行すると良い顔になる権利が発生すると論じる。またそのような人は周りの尊崇を受け、収入も全体的には増加するだろう。

契約や権利義務あるいは親切は作用と反作用と置き換えることもできるかも知れない。

ではメディアの義務とは何であろうか。報道の自由という権利があればどこかで義務も発生しているはずだ。

これは考えればすぐ分かる。報道の内容は真実だけにする義務だ。報道の偏り、不足、過誤あるいは社会を侮辱しないというのはこの報道に伴う義務を欠いた行為だ。

個々の記者は会社に対して労働を提供し、その意味では個々の人は権利義務がバランスしている。だが会社と社会はどうだろうか。

人や組織も間違いを犯す。それは仕方がないので、上記の過誤はある程度は許されると考えるが、重大なミスはもちろん許されるはずがない。

朝日新聞はこの権利義務の精神を全く忘れる。かつての所謂従軍慰安婦問題の報道もまったく虚偽であった。それを反省もしない。

こんな新聞は廃刊にすべきだとして運動をしている組織もあるくらいだ。私はそれを知って朝日新聞を取らなくした。そんなことも分からない組織とは取引ができない。

権利が大きければ大きいほど義務も大きくなるのは当然である。左掛かり過ぎた新聞社のありかたも許されるべきではない。アメリカでも新聞社は左よりのことが多い。

どうも左思想があるとインテリとでも思っている人物が後を絶たないらしい。自分たちの意見は社説で書くべきで、一般の記事の中に含ませるのは良くない。

産経新聞はその点右寄りだ。これもどうかと思う。メディアは公平にならなければならないのにそれを欠いていて読者に間違った情報を与えてしまうだろう。

掲題の問題も社説で書くべきだ。新聞社や担当の記者が書いたこの記事は単なる意見であって、真実かどうかは評価が別れるところだ。

それを既得権があるかのように一面の記事として扱う。どうも記者やその組織はあまり頭脳が良くないらしい。

これからも従来のメディアは衰退していくだろう。権利と義務のバランスを欠いた行動はニーズの変化に対応できない姿勢に更に追い打ちを掛けるがごとく、メディアを窮地に落とし込む。

メディアは娯楽読み物として読むべきなんだろうか。そうするとまた違う義務も発生するからメディアを運営する担当者は相当気を付けないと天に唾を吐く行為を続ける。

酒巻 修平

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