死と生の連携

とうとうAmebaを介してのブログを書く回数も1000回を迎えました。全て異なったテーマで書いたつもりですが、読み返してみると重複しているものや稚拙な内容のものもあり、その点反省しています。

書く動機は後期高齢年齢を過ぎた私がアルツハイマーになる確率を下げるためでしたが、副産物として文章も少しは上手くなったし、世の中のできごとにも関心が生じたことが沢山あります。

私はアルツハイマーの原因が脳に溜まったカスの所為だと信じていてそれを溜めないようにするには絶えず脳を活性化させることだと信じています。

一時ブログを書くことに疑問を持ちましたが、私のブログを読んで下さる人もいるのだと思い直し、1000回まで続けることができました。

今まで読んで頂いた方には感謝すると共に今後もお付き合い下さるよう、心よりお願い致したいと存じます。

Amebaさんにはとてもお世話になりましたが、考えることがあって自身のサイトを近々立ち上げることにしましたので、引き続き目を通して下さればとても嬉しいと存じます。

さて人の一番の関心事である生と死について今回は書いてみたいと思います。私見ではあるし、立証されていないことですが、物を考えるという観点では意義のあることだと信じますので、どうかお付き合い下さい。

何度も書きましたが、生物とは自己複製する系であると定義できると思います。この定義は必要充分条件を満たしているかどうか異論もあるでしょうが、間違いのないところでしょう。

人は子孫を残しあるいは残す動きをして大きくはそれに成功しています。また体の中を考察するとそこには新陳代謝というこれまた自己複製する作用が備わっています。

この二重の自己複製作用は人において(他の動物も同様ですが)交互に関連し、作用、反作用の役割を果たしているのではないかと推論しています。

というのも新陳代謝においては細胞の死があって初めて新しい細胞の生が誕生するのです。細胞の死は一種のアポトーシスですが、この死がないと細胞は癌化して人を死に追いやります。新陳代謝において細胞の死が新しい細胞の生の必須条件なのです。

一方人全体では生はまずあってその生が無くなる死が必ずやってきます。この作用、反作用を垂直的、水平的と名付けました。名づけかたは恣意的ですので、違う命名法もあるでしょう。

新陳代謝は言わばミクロ的で検証が容易です。この作用は年齢を重ねると共に鈍化してその終了が死です。医学的には心臓か肺臓の作業が停止することが死であるとされていることもありますが、これは間違っているのを我々は知っています。

人口心肺を使って人を蘇生させることができるのは医学的には常識です。死は一度訪れると遡及しない作用ですから心臓や肺の停止を以て死とは定義できないのです。

心臓や肺の停止がやがて新陳代謝の停止に至るとこれはもう遡及できません。それが死です。死が訪れると人は全ての作用を停止して腐敗菌が人の体を無あるいは自然に返します。

自然に帰った人の体は植物が生育する栄養素となり、また生の材料となるのです。新陳代謝において死が先にあり、そして生が生じます。

個体全体では死が生の原因になっているかどうかについて大きな論争がありますが、私はそれを事実だと強く信じています。

社会的には人が多すぎると非常に大きな問題を提起するでしょうが、ここでは社会的な問題ではなく、生物として死が生の原因になっているかどうかを考察しなければなりません。

もし死というカウントされた作用がなければ人は全ての作用を停止するように仕組まれていると考えます。

すなわち死という作用が人を生かしているのです。どんなに平均寿命が延びても最高齢はだいたい115歳くらいでしょう。そのカウント作用が死へ導く作用なのです。

生はその作用を前提として成り立っているでしょう。水が体内に入るともう水ではなくなります。Hである水素とO₂である酸素に分解されるのです。ここでも水の死があり水素と酸素の生が誕生します。

水素や酸素は水の死が前提となっています。そしてその水素と酸素が結合すると水が誕生します。ここにも死と生の連携が確認できます。

宇宙の生成の状態やその死について人は永遠に解明できないと思いますが、宇宙の構成物である星を観察するとそこにはやはり死と生の関係が見て取れます。

星は死を迎えるに当って超新星になり爆発しますが、やがてその残骸同士が集まって星が誕生するのは良く知られている現象です。

宇宙でも生と死、死と生の連携があるのです。そういう意味で人は宇宙の分子だと考えて差し支えがないでしょう。

死は人という高等度物が悲しむ現象ですが、その死がなければ生はありません。人以外の動物は死を意識しません。人は頭脳が極端に発達したので、死を意識するのです。

ですから頭脳の発達は死という人にとってもっとも悲しい出来事と真正面から向かわなければならない恐怖を与えたのです。

そうだとしてもあなたは来世猫に生まれたいでしょうか。そうではないと確信しますが、一つのできごとは一つの反作用を伴うのです。

生物は自己複製するためだけに生を保っています。人も同様で頭脳の働きを除けばそれがはっきり分かるでしょう。

死が恐ろしいのは意識がなくなるからです。しかしその意識はまた違う形でもたらせれた人に意識を植え付けます。そしてそれは永遠に続くでしょう。

死を恐れるなと言ってもそんなことはできませんが生が充分全うできれば死や生を感じる意識も無くなります。それが本当の姿なのです。ですから今後人は病死を潰滅するために働くでしょう。

酒巻 修平

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