美女、イケメン男性

 美とは何だろうか。どのように感じるのか。長年の疑問だがいまだそれを説明してくれる読み物がない。

 中には無理やりと思える論理を展開している本もあるが、どうも内容がしっくりと来ないし、私としては納得していない。

 人の脳を含む体の制御機構の論理的な分析は極めて困難だ。一例を上げても夢は何故見るのか、病気はどのように発現するのか、進化は何故起こるのか、受精卵がどのようにして後の複雑な機構を持った人の各器官に発展していくのか、脳は5%しか使われていないと言われるが後の95%は何のためにあるのか。

 そんな誰もが解明できない人の体だが、夢は確かに見るし、美は誰の頭にも存在する。病気にも実際罹る。

 結婚前の男女が互いに引き付けられる原因もなかなか難解な事象だ。美しくとも性格が合わないこともあるし、ただ美しいというだけで関係が発展していくこともある。

 美しく優しい女性に誘われると断れる男性はいるだろうか。裕福で大らかな性格をした男性が誘うと女性は断れるだろうか。

 男性が女性を誘い交際を求めるとそれを受ける女性は「私で良ければ」などと言い、アメリカでは「あなたの誘いを断れる人がいるでしょうか」などと魅力的な返答をする。

 そこで男性はまた心踊らされ、一時はその女性のことで胸が一杯になる。女性もその男性のことを考えながら寝に付くことだろう。

 そんな光景そのものが美である。ただ単に相手の体を求める行動とは違う精神状態が美を醸し出すのだ。

 美とは不思議なもので、個人個人が美意識を持っていて、日本人とアメリカ人、あるいはアフリカ人が対象にする美は全て違うだろう。

 美は継続するだろうか。恋という美はいずれ薄れる。それが愛になると新しい美が生れ、この美は比較的長く続くだろう。

 富士山のような美しい山を見ながら過ごせる地域に住む人は誰もが羨ましいと思う。だが果たしてそんなところに住んでいる人は富士山を見て、他の地域の人のようにその美しさに感動するだろうか。

 決してそんなことはない。富士山はいつもそこにあり、いつも雄大で美しい姿を見せているはずが、人はいつしかそれを美とは感じなくなってしまう。

 それでは沈みゆく太陽とその周りの光景はどうだろうか。それは不動の富士山とは違い、いつも美しいと思うはずだ。

 どこが違うのか。沈みゆく太陽は同じでもその日の天候、湿度、雲、その他の条件が変化し、総体的な沈みゆく太陽の光景は毎日違うからだ。

 美は移ろい易いのだ。人の脳は絶えず新しいプログラムを自然に構築している。今まで美しいと感じたものも、それが常であるようになれば、脳はそれを美として受け付けない。単なる見慣れた光景でしかない。

 美は愛、安心感、心の支えなどに変化する。いや脳がそのように変化させるのだ。脳が美として捉える事象の存続期間は短い。

 極めて美貌な女優と結婚した男がすぐ妻の美に飽きを感じ、性格、行動の不一致から離婚するのを我々は絶えず見ている。

 それが人間なのだ。猫や犬はそんな高度な脳の使い方はしない。雄猫が発情期に雌猫を見つけたらどんな猫でもすぐ性交をする。

 男性から見た女性の美しさ、女性から見た男性の凛々しい顔立ちは美であっても、やがて飽きて単なる普通の形状でしかない。

 だが性格からくる行動は絶えず変わっている。ここに美があるなら、その美は変化に対応することだから絶えず美と感じる。

 自分が美しいと瞬間でも感じれば相手を配偶者として結婚するのは良いだろおう。人は美をどこかで求めるものだから、それが誘因となって結婚に至るのはやむを得ない。

 だがその美はすぐに消え去る。結婚する相手とは毎日顔を合わせるのだから、美しい容貌も女性の美しい体もすぐに美ではなくなる。

 結婚は相手の美だけでしてはいけないのはこの辺にあるのだ。案外互いが便利であるような存在の異性と結婚するのが良いかも知れない。

 またある程度裕福な人との結婚もあるだろう。それを咎め建てしてはならない。家柄の良さ、相手の行動のスピートの速さ、芸術心、その他何十年も変わることがない美こそが結婚の条件ではないだろうか。

 幸せは形に感じるものではなく、無形の精神のあり方だ。相手といることで落ち着くならそれが幸せだし、同じ芸術を愛好することでも良い。形と結婚してはならない。

酒巻 修平

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