コロナの流行と生産の方式の変更

 今回のコロナの流行は世界的なものであった。だがこれは初めてのことではなく、自然災害や人為的な経済破壊で日本に関係している事件は大まかに10年に一度くらいは発生している。

 2011年には3.11、阪神淡路大震災は2001年、世界金融危機は2007年ころ、また日本のバブル経済の崩壊は1992年ころに発生している。

 即ち、自然と人間の暴走により日本及び世界は経済に大きな混乱が定期的に起きている。これは偶然の成せる業ではなく、深く思考すると必然的なものだ。

 だが時の政府関係者は想定外だとの態度で、予想された災害に対する対応にあたふたとするだけであった。

 世界史を紐解くと1400年ころにペストが大流行し、イギリスでは産業、農業革命が勃興した。これはペストによる死者がイギリスの人口の半数に上ったからで、労働力を人にだけ求めることを止め、機械に人の代わりをやらせたのだ。

 今回のコロナの流行では何が起こったかを検証するとそれは機械に人の代わりをさせるのではなく、コンピューターの多くを頼ったのだ。

 コンピューターも機械であるが敢えて区別する方が良いだろう。何故ならコンピューターは農業、産業に携わる人の代わりに仕事をするのではなく、本来人しかできないと思われていた事務や営業もやってのけるからだ。

 今回のコロナの流行ではペストの流行の時のように死亡する人は少なかったが、仕事をする人の数が大きく減少したという点では同様の経済破綻が起こっている。

 労働は人に苦しみを与えるのか、それとも一種の快楽の追求であろうか。今回のことで分かったことは人という動物は働くことで一定の精神の安定を確保しているということだ。

 機械が働くにせよ、人がするにせよ、労働がなくては生産がない。だが近年人口の増加以上に経済規模が膨張している。それはコンピューターを含む機械が人の代わりに労働をしているからだ。人と違い、機械はいくらでも作ることができる。

 そうすると人口が減少しても経済規模を維持することが可能だ。より少ない人口であってもコンピューターやその派生製品であるAIを使用すれば問題は解決する。

 日本では人口はますます減少の度合いを大きくするだろう。それに対応するには機械に生産を委託する度合いを加速度的に増大させなければならない。

 かつてスペインでは上層部の人口の減少により国力が減衰した。だがそのころとは違い今は機械やコンピューターが効率よく利用されている。

 もちろん国力の維持はコンピューターだけに頼ることはできないが、少なくてもコンピューターの効率の良い利用が国力に大きく影響を与えるだろう。

 だがコンピューターは考えることをしないし、自分自身がデータを取り込んでプログラムを構築することができない。

 機械にせよコンピューターにせよ、人がそれを制作し動かす方法を示さなければならないのだ。

 このことを考え私は安倍内閣が発足した時にコンピューター省を立ち上げたらどうかと提言したが、その趣旨は理解されたものの、効率の良い実行はいまだされていない。

 今後はどう考えてもコンピューターなしの社会はあり得ないだろう。宇宙開発や航空機、橋梁の設計などあらゆる分野でコンピューターに頼らざるを得ない。

 機械やコンピューターは人から仕事を奪うが、反対側から見れば機械などに仕事をさせて人はそれを監督しながら余暇を楽しむ技を身に付ける機械を得たのだ。

 そうすると頭を使わなくては生きていけない人という動物は遊びに走るだろう。これからの産業には人をどのように遊ばせるかが大切な要素になると思われる。

 忘れてならないのは自然であれ、人工であれ、災害は定期的に発生するということだ。3.11が発生した時に東京電力の幹部はこの規模の災害は想定外だと発言するような低能ぶりを発揮した。

 災害は定期的な発生していて、3.11より巨大な津波は何度かあの地方を襲っているのだ。

 歴史を学ばなければならない。災害時に時の政府は何をしたか。一般の人はどうであったか。政府を頼りにするのは難しいと考えなければならない。

酒巻 修平

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