人という物体

人は生物の一種で、生物とは「自己複製する系である」と定義できる。定義とは他と厳密に区別できる説明である。自己複製は垂直と水平の二つがあり、垂直の複製は生殖作用による子孫を作ることである。片や水平のものは新陳代謝である。人の終焉、即ち死は新陳代謝の終了である。新陳代謝が終了すると各器官、臓器、血液やリンパ液の流れ、筋肉の動き、呼吸、心臓の鼓動その他人の全身の活動が停止する。

生物の存在意義は子孫を残すことである。子孫を残すには自分自身が生存していなければならず、そのために新陳代謝を欠かすことがない。生物は子孫を残すためにのみ生存する。しかし人は過大に脳を発達させ、人の生きる意義の一つは脳を動かすことである。脳を動かすこととは喜び悲しみを知り、芸術を解するなど大脳を作動させることである。

人の体は電気信号でデジタル的に制御され、従って制御方式は二進法的である。これはコンピューターの制御機構と同様であるが、コンピューターの制御機構は自然発生的に人の制御機構をモデルにしたものだ。生体の制御機構が二進法的であると同時に自己複製の方式も二進法的である。精子と卵子の二つが交互作用によって分裂してゆく様はまさしく二進法的である。

この作用により人の精神、肉体は二進法的に作動する。だから精神の在り方には裏と表があり、人の性は善であり、かつ悪である。正がない人も悪がない人もいない。あるのはその割合だけだ。社会生活の主たる部分は人の精神からなるのであれば、全ての人文現象は二つの面に分析できる。

権利と義務、資産と負債、身分の上下、得意と失意、喜びと悲しみ、長所と短所、好調と不調、失敗と成功。これら全ては精神の状況でしかない。権利を得れば義務が生じ、資産を求めれば負債が付いてくる。ある日喜びが来ればその後いつかは悲しみが襲ってくる。大きな長所を持つ人は大きな短所に悩まされる。好調が続けば不調の谷は深い。

肉体も同じである。免疫が働けばそれを抑える機構が働くし、交換神経の対局には副交感神経がある。その交感神経にも促進と制動の二局面がある。興奮と冷静は繰返し、空腹は満腹によって消滅する。それが分かればやや随意的に身体をコントロールすることも可能であろう。

一方肉体の各部分は連携していて、ある部分の作業に欠陥があればその影響は他の器官に及ぶ。心臓の位置が上がれば動機がし、胃が下垂すれば消化作業に齟齬をきたす。精神作用即ち脳の活動が不本意に制約されれば臓器のいずれかが機能不全になる。人体の作用機構は脳という上流から臓器という下流に流れが伝わる。症状は病気の結果であり、何らかの方法で症状が軽快になれば病気が治癒することもある。

人と良好な関係を持とうとすればその人を好きになればいいし、憎しみは相手の憎しみを引き出し増幅して回帰してくる。株式投資をする人はその株式に対する人の思惑を観察すれば大きな間違いはしない。取引相手を選ぶにはその相手の精神状態の分析をすれば取引相手として相応しいかどうかを教えてくれる。精神は肉体、無形の事柄は有形の事物の上流に位置するので、肉体を制御するのは精神、有形の事柄を制するには無形の状態を処理すればいい。

商品を売るには先ずセールスマンの精神を表現すればいい。商品を売る前に自分自身を売る努力をする。それが営業の基礎である。自分を表現するときは優しい言葉と柔らかな態度で接すれば間違いがない。相手は買う商品を自ら選ぶだろう。

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 2017-1-30の「進化と人」も併せてお読み下さい。

酒巻 修平

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