AIは人間をこえられるか

 越えられないというのが絶対的な結論である。AIを使った将棋で人間の名人に勝利したからこんな疑問が出て来たと思うが、AIに将棋の手をプログラムして入れ込んだのは人間だ。人間がいなければそのAIは単なる機械で、1cmたりとも動くことができない。

 過去の名人たちの差し手を研究して、それを基に将棋の指し方のプログラムを構築していったのだ。最初は初段の差し手にも勝てなかっただろうが、だんだん情報を積み重ね、その情報を基にプログラムの高度化を進めていった。だからAIの指し方には複数の名人の妙手や定石が組み入れている。AIの将棋は長年の研究の成果だ。実際のプログラム構築の現場を私は知らないが、多分そんなことだろう。

 AIはまたレンブラントの画法による名画を描いたり、大作曲家の作品に似た曲を作ることができると言う(昨日のテレビ)。しかしやはりレンブラントやその大作曲家がいなければ類似の名画や曲は生み出せない。最近多分に金稼ぎのため、コンピューター作曲をしている演歌作曲家がいると思う。コンピューターを通じて作り出された曲は全部同じ曲に聞こえ、聴く気がしない駄作ばかりだ。嘆かわしい。

AIにはコンピューターが組み込まれている。コンピューターには自動データ入力システムもないし、自動プログラム構築機能も備わっていない。それにAIパワーも自分で供給できない。全ては人が介在し、AIを動かしてやっているのだ。従ってAIが将棋の名人に勝ったのはAIにプログラムを組み込んだ人の不断の努力と大きな能力があってこそ起こった出来事である。

 ところで天才とはどのような人であろうか。私の考えでは、大小無数の情報を組み合わせてプログラムを組むことができる人である。ベンジャミン・フランクリンは稲光を見て電気を生み出したし、伝説ではアイザック・ニュートンはリンゴが落ちるのを見て重力理論を創造した。このように小さくて遠い情報を集積、統合、整備をして、大きな理論に組み立てる能力を持った人が天才なのだと思う。そこにはやはり原初の情報があり、それがなければ天才と言えども世の人の考えを変えてしまうような発明、発見はできない。アインシュタインは数学を基に相対性理論を構築した。

 作曲家はどのようにして作曲をしているのだろうか。私も作曲をしてみたいと試みたが一フレーズも浮かばなかった。作曲をできる人に聞いてみると、曲は勝手に頭の中で浮かぶのだと言う。自然に取り込み、蓄積してあって音を自然に組み合わせると曲ができるのだろうか。私には恐るべきことで、一番の天才は作曲家だと信じている。

 最近古書店で「脳は美をいかに感じるか」という本を買った。私は人の体は電子信号でデジタル的に制御されているという仮説に自信を持っているので、その一端の検証でもできるかと期待したのだが、書いてある内容は単なる屁理屈であって、がっかりした。そもそも美とはいかなるものかという定義を述べていないし、その定義がなければその美を脳がいかに感じるかを説明できる訳がない。本は最初の10ページで読むのを止めてしまったので、本の後ろの方にそんなことも書いているかも知れない。そうであると私はその著者(アメリカ人)に謝らなければならない。

 AIは人間を越えられるか?馬鹿も休み休み言ってくれ。ただコンピューターは人間の社会に善悪、重大な影響を及ぼす。これについてはまた日を改めて書いてみたい。

酒巻 修平

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