思考と記憶

  

思考と記憶はどのように違うのか、両者は全く違うことのようですが、生理学的に分析してみると面白いことが分かります。両者は共に脳の作用に関係します。

 先ず記憶とは得た情報を脳に入力し、保存することです。その後それを出力する作業がありますが、これは記憶と言えるかどうかは微妙なところです。

 片や思考とは保存されている情報を加工して、目的を持って脳でプログラムに組み、プログラムの実行により情報を生かす作用です。

このように分析するとどちらのレベルが脳において高いかが、簡単に分かります。いくら情報が蓄積されていても、利用しなければ宝の持ち腐れです。

前にも書きましたが、大きな発明も小さな情報、一見結びつかないような複数の情報を処理、プログラムすることによって成し遂げられます。

学校の勉強と入学試験は主として情報の蓄積量の多さとそれを取り出す技術を問うものでした。ですから、職場で度々聞こえる会話「学校の勉強がいくらできても仕事とは関係がない」は学校で教えてもらえる記憶だけを持っている人のことを指しているのです。

有名大学を出た人と話しをすると、その記憶の多さに驚くことがあります。ある人が{鉄道唱歌」の全てや忠臣蔵の「刃傷松の廊下」の全科白を覚えていて、度々私に披露してくれました。またカントの「純粋理性批判」という本を読むのが帰宅してからの楽しみだと絶えず言っていました。それに啓発されて私も読んでみました。それは思考だけで大脳生理学を説明した300年以上も前の著述でした。カントという人は天才です。読んでからその私の友人と議論を楽しもうとしたところ、その人は論理を全く理解せずにすべての文章を暗記していただけなので、議論には至りませんでした。

最近テレビを見ていると高等学校の入学試験で考え方を問う問題を出すようにしていると聞いて私はほっとしました。記憶の訓練ばかりしていると思考能力が発達しません。実社会では記憶より、思考の方がより有用なのです。

有名大学を卒業したからといって、いい収入を得られる社会はもう終わるでしょう。終わらなければそれこそ日本が終わりです。下請け国であった時代に自分の頭で考え技術力の向上に邁進した日本は下請け国でなくなっても先進国としてやっていけています。片や下請け国でなくなって、技術力を養ってこなかった国は今悲惨でしょう。こういう国を如何に助ければいいのか、長期間のやり直ししかありません。

自分の子供が社会で有用に生きてゆくには記憶だけではなく思考を磨くような勉強をさせるべきだと信じています。

酒巻 修平

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