犬(テラとビク)

 我が家には二匹の犬がいた。一匹が先輩でテラと言い、もう一匹は後輩のビクである。二匹とも拾ってきた。

 テラは暫く近所で餌をもらっていたが、ある日散歩に出るとテラに出会った。テラは首輪を付けていたので、元のご主人とはぐれたのだと思った。テラと並んで歩いていると、何かの拍子で足を踏んづけてしまった。テラはキャンキャンとないて逃げて行ったが、暫く逃げるとこちらを恨めしそうに眺めていた。

 その後そのテラがどこに行くにも付いてくるという報告が子供たちからあった。歯医者さんに行ったら、付いてきたが、30分も治療に掛かったので、どこかに行ってしまったと思ったらドアの外に待っていた。買い物に行くときに付いて来たので自転車で振り切ろうとしても必死に追いすがるなど、毎日ほどそんな話を子供がした。

 どうも犬は自分が飼ってもらう家を自分で決めるようで、とうとう根負けをして、飼うことにした。妻が犬は嫌いだと大反対した。しかし子供も全て賛成したので、議案は賛成多数で可決された。当時の私は今の自民党の党首のようだった。

 テラが雨に濡れると可哀そうだと言うので、犬小屋を買った。私はノックダウン式の家具の組み立てがとても不得意で、2,3時間も掛かって犬小屋をやっと組み立てた。さてこの犬の名前を何にしようかと迷った。犬小屋のメーカーは「寺田」と言ったので、私はその会社名の前半を借用して「寺」即ち、テラと名付けたのがこのテラの名前の由来だ。

飼い始めたあくる日、いつも餌をやっていた家の人が心配してテラを見に庭に入って来た。途端にテラが大きな声で吠えてその人たちを威嚇した。その人たちは今まで餌を与えてやったのにとショックを受けた。テラはもう酒巻家の番犬になっていたのだ。テラは甲斐犬と何かの雑種で、甲斐犬はとても主人に従順だそうだ。

 飼ってみるとテラは妻にもとても従順で、従順ではない私より妻はテラを愛おしく思い始め、あれほど嫌がったのに猫可愛がりした(犬を猫可愛がりとは?)。テラがいなければ一日も暮らせない。

 我が家は猫可愛がりの家系で、躾もせずこのテラを家族中でしたい放題させたので、食事の時も椅子に乗っては妻の手に足を掛け、食べ物をねだった。その仕草が可愛いと妻はますます溺愛した。

 そのうち我が家は借家に引っ越した。新しい家の庭には枇杷の木があって、テラをその木に下に繋いでおいた。時期になると枇杷の実がテラのところに落ちてくる。それをテラは食べた。食いしん坊だ。

 どこかへ仕事に行ったとき、一匹の犬が車道を歩いていて車にはねられそうになっているのが見えた。私は咄嗟にその犬を助けて、家に連れて帰った。これが2匹目のビクだ。このときもまだ自民党の総裁だった私は強引に採決に持ち込み、ビクを飼うことにした。名前はびくびくしている様子から取った。

 勿論二匹の犬は喧嘩を始めた。ビクは純粋の黒柴で小さい。2,3日で片が付いてビクはテラの手下になった。テラは賢いがビクは頭が悪い。なかなか懐かないし、要領も悪い。やっぱりテラの方が何かと優遇された。

 ビクは車に引かれたらしく片足が骨折していた。これは可哀そうだと動物病院に行き、手術をしてもらった。治ったが料金が25万円。ペットショップで買うより高く掛かった。でも自民党の総裁は犬をペットショップで買わないという頑固な考えの持ち主だ。その主張の根拠は拾われた犬は野犬として殺処分されるより極めて幸運だ。だからその犬は我が家に幸運をもたらすというものだった。

 テラが癌に掛かっていると医者に診断された。手術しても癌が取り切れないと言われて、テラの長寿は諦めた。しかしテラは結局その診断から5年も生きてくれた。到頭死ぬ日がやってきて、家族中でテラの周りを取り囲んでいたが、動物は死ぬとき自分だけになりたいという願望があるのを思い出した。皆寝ることにした。

 あくる日起きるとテラは横になって死んでいた。娘は「テラ、酒巻家を守ってね」と言い、妻はそれから不整脈が出て、落ち込んだ。ビクは死骸に近づかないようにしているが、自分の親分が死んだのを感じていた。

 まだまだ一杯エピソードがあるが、私はテラのことを思い出す度、若いテラが野原を全速力で走っていた姿を脳裏に浮かべる。それでテラのことを歌に詠んだ

 駆け行きぬ

   犬は拾歳(ととせ)を

在りしのみ

  うたかたの世の

       片時の虹

 ビクは天寿を全うしたが、やはり人よりずっと短命で、我が家に犬はもういない。子供も独立して、夫婦二人暮しである。

酒巻 修平

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