馬鹿な政治家 - 松平定信

 悪名高い田沼意次が失脚した後に所謂「寛政の改革」を断行して幕府の財政を立て直した。我々も中学校のころ江戸三名君と教えられそれを信じていた。

 確かに幕府財政を立て直したことなど、名君の一面がある。田沼政治を徹底的に非難して、正反対の政策を行ったため幕府の財政は破綻を免れたことは否めない。

 田沼政治は典型的なバブル政治である。巷に金が溢れ、庶民までもが好景気に浮かれていた。これはこれで後々大きな禍根を残す危うさを孕んでいた。

 バブル景気を正常に戻すには徐々に政策を転換しながらソフトランディングすべきなのだが、松平はそれをハードランディングで一挙に崩壊させた。

 このため江戸の経済は破綻し、文字通り町の灯が消えてしまった。大不況がやって来たのだ。庶民はこれを恨み、「白川の 水の清きに 住みかねて 昔の田沼 今は恋ひしき」などの落首を残した。落首の中の「白川」は水が澄んで白いと白川藩主の松平定信を掛けている「住みかねて」は不況の中での生活は困窮そのもの、「昔の田沼」は濁った田んぼや沼と田沼意次を掛けた言葉である。

 この状態は極端なバブルは良くないし、それを是正するのも性急ではいけないという教訓を残した。

 翻って現在に近い時代の経済を振り返ってみると面白いことが分かる。1980年台の中盤から始まったバブルは1990年日本銀行総裁の三重野康の緊縮財政政策の施行により崩壊した。

 三重野は東京大学法学部を卒業した秀才であるので、江戸期の「寛政の改革」を勉強し、記憶していただろう。しかしその教訓を生かすことができないただの勉強ボーヤであったのだろうか。

 その後の処理も拙かった。時の政府はバブル崩壊後の経済立て直しに真剣ではなく(あるいは三重野のように阿呆だったのか)暗黒の20年がやってきた。この時代に少、青年期を過ごした人は裕福という状態を知らないままで、気の毒だとしか言いようがない。それをやっと修正したのは安倍晋三内閣であった。その後ろに頭脳集団がいたのだろうが、結局は安倍さんが立て直さなければいまだ日本の経済は低迷していて、日本人は自信をなくしていた状態が続いただろう。

 三重野も馬鹿ではないだろうから、それには裏があると私は考えている。その時代に宮澤喜一氏と大蔵大臣の橋本龍太郎が渡米してアメリカと何かの交渉をした。それを私は鮮明に覚えているが、結局アメリカとの政治駆け引きに敗れたのであろうというのが私の考えだ。

 バブルに浮かれた日本の企業家はアメリカの象徴のようなエンパイアステートビルを買収するなど、アメリカ人の心を慮ることなく驕り猛った。当時の日本国土の全土地価はアメリカの全土地価を上回るとされていた。

 アメリカは日本の銀行の弱点を探し、「自己資本比率が8%に満たない銀行は国際決済銀行にはなれない」などと難癖をつけ、銀行の貸し出し量を制限した。これがバブル崩壊の真の原因であると見ている。当時銀行の貸し出しの多くが土地買収資金であった。

 私は今でも宮沢、橋本、三重野を三馬鹿トリオと思っている。実際は事態の裏にはもう少し複雑な我々が知り得ない事情があったのだろうが、このトリオももう少し交渉の仕方、その後の政策に賢明さを発揮してもらいたかった。三人は庶民の暮らしぶりの真の姿を知らない。それでよく国家の政策を実行できるものだ。会社でも一番の情報は末端にあるのだ。大会社の社長は倉庫のフォークリフトの研修をしてから就任するのがいいだろう。

 今後もこのようなことが起こるであろう。その時には政府の担当者は歴史を振り返り、それに学ぶ行動を取ってもらいたい。人の精神や行動様式は不変だからだ。

酒巻 修平

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です