平幹二朗 - 舞台で声が良く通る

 申し訳ない話だが、私は平幹二朗さんの舞台は見たことがない。それどころか歌舞伎もないし、他の舞台の劇も一切見たことがない。

 舞台で鑑賞したのは音楽関係のものが数回かしかない。一度はMilvaでもう一回はGiuseppe Di Stefanoだ。Milvaの発声は好きではないが、歌う曲のメロディが良い。Stefanoの発声は例の三大テノールのLuciano Pavarottiよりよっぽどいいと思う。

 私の評価ではパヴァロッティの発声は奥行がなく、綺麗で輝きはあるが一段落ちると思っていた。そう言えばマリア カラスがあるとき自分の歌をステファノに批評してもらったことがある。

 その時カラスは相当自信があったのだろうが、ステファノは「まるで駄目」と切って捨てた。実際私が聞いても息継ぎの音が聞こえ、それが耳障りで、聞きたくない部類の声だ。

 そんなことを言うとファンの方の反感を買うだろうが、ステファノとカラス両者の声を聴き比べて欲しい。ステファノも高音の発声に難があると言われていたが、全体的な質は同時代のモナコと同様素晴らしいものだった。カラスは一時ステファノの彼女だったこともあり、ステファノも遠慮がなかったのだろう。

 女性歌手では何と言ってもテトラツィーニであろう。彼女の歌声は人の声とはもう思えない。まるで小鳥そのもののようだし、温かみがある。これからもあの声を出す人は出てこないだろう。

男性歌手ではカルーソーと並ぶものがいない。カルーソーは蓄音機が発明されたころの歌手だ。録音がやっと間に合ったので、数多くの曲が残っている。ただ録音技術が悪かったので、本来の声はもっと良かったと推測される。電気的なノイズを除いた声が本物に近いとして残されていて聞くことができる。

 それはビロードのようで、力強く、高音の輝きは比類するものがない。彼の前はタマーニョで、引退後に吹き込んだレコードが多少残っている。こちらも録音が悪く本物の声とほど遠いだろう。現役時代の声を聴いてみたいものだ。

 その前には「銀の鐘を銀の槌で叩いたような声」の歌手がいたらしいし、もっとすごいのもいたと記されている。昔に遡れば遡るほど声の質が良いのも不思議だ。

 声の大きさは声帯から発せられた音(声)を如何に共鳴させるかで決まるし、音色の良さもそうだ。胸郭全体からの息の流れが横隔膜に先ず当たり、ぴんと張った膜を振るわせる。それが声門から流れ出て、鼻腔や頭蓋骨、背骨、肩の骨などの固い部分を共鳴させ飛んで行く。

 声は波を形成し、逆流するし、廻ったりする。下手な歌手は口の中を共鳴させるので、声の輝きがないし、マイクロフォンなしには遠くへ飛ばない。口の中は筋肉や膜でできているので、骨のような硬いものに響くより鈍いものになってしまう。

 こんなことを言うのは簡単だが実行するのは難しい。やることが4つも5つもあるので、全てに神経を行き届かせるのは至難の業だ。練習していてもできるのは3つぐらいか。

 私は生まれつきの良い発声をする能力には恵まれていないので、感性だけでは他の歌手に太刀打ちができない。思考を凝らし論理的に発声を考え、実行する。だから他の歌手より出来不出来の差が激しい。

 平幹二朗という俳優はそんな意味では良い発声ができる天分を持った舞台人だったのかもしれない。しかし日本では普段そんな大きい声で話す習慣はなく、舞台用の声を持っていたのだろう。日々精進し、考え、悩み、実行し、また考え悩んだのだと思う。大きな劇場でどら声ではない通る声を出す訓練を毎日人知れずやっていたのであろう。

 口先だけで歌う歌手や大きいが遠くに通らない声の舞台人が多いなか、彼の舞台を勉強のためにも見ておくのだったと悔やまれる。

酒巻 修平

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