人 未来への旅立ち

 人の未来は予想することができない。予想しても当たらない。何故ならそれは全世界の人の精神の平均値や総合計を予想できないからだ。

 しかし予想を立てられることもあるだろう。あるいは入り組んだ洞窟の分れ道のどこを選択するかで社会が変り、その道を行くならこうなるという条件的な予想はできるとも言える。

 人は両親から複製された動物である。これは未来もそうだろうと考えられる。しかしクローン技術が発達して両親の遺伝子を持たない人類が誕生する可能性も考えなくてはならない。しかし相変わらず、人は二つの面を持ち続ける。精神と肉体は両親という存在なくして生を享けた人間にも存在する。だから第一の予想、人は二進法的な物体であるというのは確実性が高い。

 社会は精神により作り出される。これも断定できそうだ。しかし人の体はどのように変化、進化、退化するかを予想するのは難しい。

 長寿が進行するのか。進行するとすれば何歳くらいまでか。あるいは際限がないのか。現在の科学では120歳を限度とするように言われているが、これは証明されているのか。科学者の予想は当たったためしがない。

 しかし当面は長寿化が進行するだろう。何故なら誰しもが長寿を望んでいるからだ。進化はダーウインがいうように偶然に始まり、環境に最も適応した方向に向かうとするのは違う。それには多くの証明がある。自分自身の何らかの利益のためにダーウインの進化論は正しいと強弁する学者もいるが、彼らも自身が信奉する進化論の証明には成功していない。

 人の望みは長期間掛かるかも知れないが、一定の割合で達成される。平均的な人が大きくなりたいと思っていると脳が考えている部分からそれを命令する部分に信号が送られ、脳の命令部門は大きくなれと命令するだろう。

 人の巨大化は進行する。どこで止まるのかは止まって欲しいと人が考えた時だ。恐竜のように脳の作用が鈍い動物は自身の大きさからくる危うさに対する心配はなく、大きくなり続けた。止めたのは隕石の衝突だ。

 同じく寿命も伸びるだろう。昨日のテレビで人は100歳まで生きる準備をしなければならないと意見を言う人がいたが、当面それは正しい。しかし人の寿命の限度が120歳であるとは言い得ない。証明できないからだ。平均寿命が延びている理由は複雑だが、事実であり、その事実がどこまで継続して存在するかは予想不能だ。

 人口は減るか、増えるか。これは純粋に精神に関する。人がもっと子供が欲しいと思えば人口は増えるし、もういらないと思えば減少する。今はもういらないと思っている。そう思う理由は政府が考えている理由とは違うので、政府の政策は間違っている。しかしどこかで逆転現象が起きるだろう。人がだんだん少なくなってくれば不安になり、自分たちだけでももっと子供を持とうと思う。なぜなら人は一人では生きて行けないという精神と肉体の基本があるからだ。

 寿命が長くなれば働く期間も長くなる。人は基本的に働きたいのだ。働くのは一種の楽しみで、定年制はその楽しみを容赦なく奪うものだ。これが国家予算を危うくしている一つの原因でもある。定年制は人に違う人生を楽しんでもらうと趣旨を持っていたが、今は大会社のがりがり亡者が会社のトータル的な利益のために、頑固に定年制を守っている。そんな会社には罰則を科すといい。

 経済はどうであろうか。今の制度が続くと貧富の差が益々広がる。これは犯罪発生の原因となる。貧富の差は主として金によって金を儲けるシステムが確立されそれを高度に利用するものとそうでない人がいること、およびコンピューター使用技術力の差によって生じている。

 ニクソン米元大統領がドル/金の交換を停止したことを受けて貨幣経済は終焉を遂げた。日本円で米ドルを買うという行為は通貨そのものが商品になっていることを示している。主としてアメリカでデリバティブ商法が盛んになり、その手法に長けた者に富が集中している。それが貧富の差を広げていると大統領は知っているが、それを止めようとしない。あるいはそんな政策を作ることを妨害されている可能性もある。

 精神はどうだろうか。どこを見ても褒めるような考えをしている人の数が大幅に減少しているのが分かる。精神の荒涼は伝染し、今の人たちの精神はまだ良かったと10年後は考えているだろう。

 2030年、人には本当に心を許せる友達がいないだろう。貧富の差は広がり、犯罪が多発する。人の精神の美しさは消え、表面的な儀礼が道徳の規準となる。人たちはがりがり亡者となり、自分一人の利益のために行動する。一方人の寿命は延び、身長は高くなる。貧困者の増加により、社会保障は縮小するか、国家は慢性的な財政赤字に苦しむ。但し地方の経済は良くなり、大都市に出て来た人のUターンが進む。物は売れなくなり、人は金を無形のことに費やす。

 これら全ては人の心の動きから出てくるものである。そんな考え方を悔い改め、自分の持てるものの一部でも貧しい人に分け与え、親切を施し、・・・このように書いてゆくとこれはもう宗教が求める精神である。宗教の創始者は2000年も前にこんな状況が現出するのを予想していたのであろうか。

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2030年以降の社会は今いる人たちの精神の在り方で、どうにでも変化する。それを良くするためには自分が少しでも善行を積むことだ。

酒巻 修平

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