失われた世界の言語の美しい発音

 言語が時代を経るに従って変化していくのは仕方がないし、またそうあるべきだと思う。

 だがそれが美しさを失くしたりすると文化が劣化するのと同様、忌むべきことであろう。今世界でもっとも勢力の強い国はアメリカである。だからアメリカ語が世界の言語に影響を及ぼすのは時代の趨勢である。

 ただ英語ができても自国の言葉を軽んじるのは築き上げた文明、文化を蔑ろにするに等しい。

 これを阻止しようと努力しているのがフランスである。フランス語が世界の教養人の共通語であった時代も存在したことから、フランスには焦りもあるだろう。止むを得ない時以外フランス以外の言語を使うのは禁止されていると聞いた。

 美しい発音は使用するのが容易ではない。フランス語の「R」の発音は「懸壅垂」(口蓋垂)が関与する子音だが、この美しい発音はフランス人でも簡単ではないし、パリとその他のフランスの違う地域では微妙に違う。

 この頃ロシアのステージの模様をYoutubeで見ることが多い。「青いプラトーク」というメロディが好きで、舞台の上で男女のダンサーが踊るのを背景に歌手がこの歌を歌う。

 ロシアの歌謡曲の歌手はあまり歌が上手くない。それにロシア語の「ジャ」、「シャ」などの発音を正式にはやっていない。本来この発音は舌を上の方に丸めて発音するのだが、歌手たちは英語の「SHA」のように舌を平らにしたまま発音するのだ。

 この発音は本来のものより簡便だが美しくない。全体の発音もどこの言語を発音しているのか分からない感じがして、私は好きになれない。

 かく言う日本語にも無くなった美しい発音がある。それも「R」の発音なのだが、日本の伝統歌謡、例えば長唄や清元などでは使われていた。それはとても発音するのが難しい。

 英語の「R」とも違うし、フランスの「R」とも違う。今話されている一般の「R」は舌の先を上の硬口蓋の入口付近に当てて発音するのだが、長唄の「R」は舌を上に丸めて硬口蓋の前の方に近づけるように発音する。

 最近歌舞伎でBGMの長唄を聞いているとこの発音はされていなかった。そう言う私自身もまだきっちりとできないが最近は近づいてきた。

 時代劇でもこの発音はされていず、1980年ころには廃れ始めたのではないかと思われる。

 イタリア語の「gli」も難しい。これは舌の先を下の歯の後ろに当てる子音である。スペイン語にも同じようなものがあったが、どうスペルするか忘れてしまった。

 有名なイタリアのブランドの「ジーリ」は多分「Gigli」とスペルするのだと思う。後ろの「gli」の部分がその発音をするのだ。

 言語の衰えは発音どころではない。日本語でも50年前ころと比べてなくなった言い回し、単語が多い。多分日本語の語彙は普段使うことばでは30%くらいなくなっているのではないかと心配だ。

 何気なく話しても若い人が分からないような顔をしているので、私が話している単語の意味が分からないのだろう。

 例えば「眼の子算」などは若い人には全く通用しない。逆が例えば「やばい」という新生語だ。これは危ないという本来の意味をも含むが「すごい」とか「素晴らしい」「気に入った」などなど沢山の意味を表す言葉になってしまった。

 これでは的確な表現をするのが困難になるので、できるだけ狭い意味だけに通用する単語を使ってもらいたいと思うのだが、時代の趨勢には勝てないだろう。

 尾崎紅葉著の「金色夜叉」という小説を読んだとき驚いた。確か最初の一行に知らない単語が3つもあった。でもこれは通俗小説だから明治の人は私の知らない3つの単語を全部知っていたのだろう。

 私たちの年代もその前の年代の人が使っていたもっと美しい言葉を壊してしまったのだろう。何とも残念で寂しい。

 演歌では新しく心を打つ作曲はもうされないし、未来は芸術のない社会が現出しているのだろうか。

酒巻 修平

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