今日の言葉
菜根譚より引用
前段61) 長生きするだけでは
春になって時候が暖かくやわらいでくると、花でさえも更に一段と美しい色どりを地上にしきつめ、鳥さえも色々とよい声を出してさえずるようになる。花や鳥でさえそのようであるが、教養のある土君子たる者は、幸にも人にすぐれて高い地位につき、その上、衣食が満ち足って不自由のない境遇にありながら、世のためになるような立派な言論をはいたり、立派な仕事をなすことを考えなかったならば、たとえ百年の長寿を保ったとしても、あたかも一日も生存していないのと同じようなもので、誠に生きがいの無い酔生夢死の徒というべきである。
【引用元 講談社 菜根譚 著 久須本文雄】
100年生きるよりも、生き方の方が大事
人生100年時代。「老後に備えて2000万円準備しましょう」「健康のために今からサプリメントを飲みましょう」「病気に備えて保険に入りましょう」というキャッチコピーをよく耳にする。
100年生きられることは素晴らしいかもしれない。しかし、100年生きるための準備や投資を煽られ、不安な心理が続く世の中。
むしろ、不安に怯えながら100年を生きるよりも、1日1日を充実させて80年生きた方が人生は豊かなのではないだろうか。
菜根譚では「世のためになるような立派な言論を吐いたり、立派な仕事をなすことを考えなかったならば、たとえ百年の長寿を保ったとしても、あたかも一日も生存していないのと同じようなもの」と説いている。
以前、「オンラインゲームで脳を活性化させる」ためにご高齢の方々にオンラインゲームを教えているというテレビの取材を見た。確かに、ゲームで脳を活性化させながら楽しませることはできるだろう。
しかし、それは脳を刺激的に楽しませる「快楽」に過ぎず、心からの充足感につながらないのではないかと感じた。
人間としての生きがいとは、ただ楽しく生きることではない。小さなことでもいいから、人のため、社会のためになるようなことをしていくことにあるのだと思う。
私の知り合いに90歳を越える民謡の先生がいる。その先生は稽古になると2時間でもエネルギッシュに教えている。先生を見ていると、生きる意味について考えさせられる。
菜根譚で説いていることは、まさにこの先生のような生き方を指すのだと思う。
菜根譚前段「 長生きするだけでは」を読んで、そう感じました。
オススメの本
※ブログで紹介した久須本文雄著の『菜根譚』は絶版のため、岩波文庫の菜根譚のリンクとなります。